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能ある鷹は爪を使う


「能ある鷹は爪を隠す」

なぜ爪を隠すのだろうか?
隠さない方が良いのでは?

そもそも爪を隠すとは?

爪とは能力のことだと思う
能力とは、意図的に使えるものだとしよう
つまり、自分の意思でいつでも発動できるものだ

自分の能力を隠すというのは、能力をあえて使わないということ

能力を使わないと、相手からどう思われるのか?
きっと、自分に対する期待値は上がりにくくなるだろう

もし、期待値を上げにくくすることが目的ならどういうメリットがあるのだろうか?

期待値が上がるのはいいことばかりでは無い
その1つとして、相手に評価されにくくなる

例えば、料理を全くしないという人が作ったものを食べたら思いのほか美味しかった
逆に、他の人から美味しかったと評判の料理を食べたら思いのほか普通だったということがある

もし、同じ美味しさだった、+1の美味しさだととする
期待値が-2の場合、つまり期待していなかった時、ギャップは+3になる
対して、期待値が+2の場合、つまり期待していた時、ギャップは-1となる

同じ+1の料理なのに、期待値が低いとプラスになり、期待値が高いとマイナスになってしまう

期待値は低いと得になることもある
だから自分に対する期待値を無闇に上げないというのは、自己防衛機能なのだろう

期待値は、自分が設定している
ということは本来コントロールできるのだ

しかし現在は、誰かの期待値(評価やレビュー)であふれており、それに左右されやすい環境である

だからこそ、自分で期待値をコントロールする能力を身につけた人は稀なのだ

勘違いしてほしくない

期待値を下げるとは相手を信頼しないということではない

むしろ、相手を信頼しているからこそ尊重して受け止めると決めているという方がしっくりくる

期待値は各自が設定しているものだから、相手の期待値を完全にコントロールすることは難しい

それでは、みんなが爪を隠せばいいのだろうか?
むしろ、爪を隠す必要のない環境を作ることの方が良いのではないだろうか?

ここで問題になるのは、人は相手に対して、もっとこうして欲しい、という欲求や願望を抱くこと

更に、価値観や方法が近い相手になるほど、些細なすれ違いに敏感に反応してしまう、つまり、厳しい目になりやすいことだ

例えば、土足で家に入る文化の人が、自分の家に土足であがったとしても、寛大に許せてしまうだろう

ロボットも、配膳ロボットなど人の姿から離れたものはカワイイと思いやすいけど、リアルな人型ロボットはどうしても違和感を覚えやすいものだ

私が言いたいのは、自分と相手は近い存在であると思っていれば、相手に厳しくなりやすく、逆に、自分という人間は唯一無二の存在だから相手も唯一無二の存在だから全く違う性質を持っているというように離れた存在だと思って入れば自分にも相手にも許容する余地が生まれやすい

自分のことは自分が一番見えづらい
鏡がなければ自分の顔を知ることすらできない

つまり、自分のことは自分が見ようとしない限り見ること知ることはできないのだ


能ある鷹は爪を隠す

隠す必要がない環境は誰かが作ってくれるものではない

めんどくさいから、やる必要がないからと自分を後回しにする行為は、本当に自分のためになるのでしょうか?

自分でも気づいていない能力がザクザク出てきます
自分の意思で使えることは間違いなく増える

新しい能力を身につけるのために時間と労力が注ぐことも必要

たまには既に持っている能力を掘り起こして、いつでも使える状態にしておくために時間を使ってみてはいかがでしょうか?

能ある鷹は爪を使う





この時のあなたは、まだ、自分に向き合うという行為が世界調和へと続く大きな1歩になっていたことを知る由もないのであった。

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