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スター・ウォーズ:アコライト考察〜なぜ人々はあの作品をそこまで憎んだのか?〜

それは、図らずも、現実そして人間の醜さをあまりにも克明に描き出してしまったからです。

①まず結論から

 アコライト、特に最終話は、さして悪いことをしていないのに善良な心をもつ故に罪悪感に苦しんでいた中年男性(ソル)が、かつて命を助け、そして手塩にかけて育ててきた若い女性(オーシャ)に無惨に殺されて、散々人殺しや放火などをして他人を苦しめた若い女性(メイ)と若いセクシーな男性(カイミール)はなんのお咎めもなく善人ヅラをして、おまけに助けた若い女性(オーシャ)は極悪人の男性(カイミール)と駆け落ちまでしてしまうという究極的なバッドエンドです。
 これは、善良な心を持ち懸命に生きてきた人間はなんの救いもなく死んでいき、他責的で散々人を傷つけてきた人間が、罪を償うことも良心の呵責に苦しむこともなく図々しく生きていくこの現実社会をある意味見事に表現しています。社会に生きている人間なら一度はこの構図を見かけたことがあるでしょう。今まさにその状況になり、いじめやパワハラで自分だけが苦しみ加害者は元気に人生を謳歌しているという人もいるでしょう。そのような残酷な現実をまざまざと、「偶然」描いてしまったのです。ある意味で見事に描かれてしまっているため、人々に拒絶反応を引き起こしたのです。しかし、私は制作者を称賛してはいません。なぜならこれは意図的にそう作られたのではないからです。
 スターウォーズはエンタメですから、こんな胸糞悪いものを見せられたら大抵の人間は不快感を抱くでしょう。しかし、ある種の人間はこの不快感を抱きません。むしろ非常に公平だと感じるでしょう。それは何故なのか?おさらいのあと③に書きます。

②アコライトのおさらい

 アコライトについて、多くの人が胸糞が悪いとか、観ると体調が悪くなったとか感想を言っていましたが、それはただシンプルに支離滅裂で出来が悪いからだけではありません。実際演出や演技は色々とひどいのですがそれらのダメ出しは他の方のレビューに任せます。
 まず展開をおさらいすると、オーシャとメイは魔女集団により、創造された一つの命であり、それが2つに分けられたものでした。そして2人はその出生の特殊性ゆえに、魔女集団の御輿として担ぎ上げられる運命にありました。それにマスターソルは気付き、オーシャがジェダイになりたがっていることも踏まえ、救い出そうとします。インダーラは「まとも」なジェダイであるため、見て見ぬ振りを決め込もうとします。
 本来であれば、ここで誰もが最善を尽くそうとして悲劇が起きる展開を演出したかったのだと思われますが、残念ながら客観的に悪いのはマザーアニセヤとメイです。マザーアニセヤがメイと共に謎の黒い煙になるという奇行に出たため子どもの命を優先したマスターソルはマザーアニセヤを殺してしまいます。また、特にひねりもなくメイは故郷を全焼させ、インダーラはケルナッカにかかった呪いを解いたことで魔女団は勝手に全員死にます。マスターソルはメイとオーシャを両方助けようとしますが力不足であり、ジェダイを志したオーシャだけを助けます。これが事件の真相であり、ここまで読んでわかる通りほぼジェダイ側に非はありません。火をつけたのはメイですし、魔女は勝手に呪いをかけて勝手に死にました。マザーはメイを消すように見えたため殺されるのもやむなしでしょう。みなさん大体あらすじは思い出せましたでしょうか。(笑)
 真実を隠蔽したとはいえ、この真実がしっかり説明されれば普通はマスターソルや他のジェダイを責められないでしょう。このような事実があるにもかかわらず、何故かジェダイはやたらと罪悪感に苦しみ自殺したりメイやカイミールに殺されたりしてしまいました。どう考えても悪人はメイと彼女をそそのかしたカイミールです。カイミールは別に逮捕されそうになっているわけでもないのにしゃしゃり出てきてなんの罪もないジェダイを虐殺しています。

③製作者側はなぜ「偶然」この展開を作れたのか、そしてこの展開を胸糞と捉えていないのは何故なのか?

 これは今回最も重要なポイントです。制作側はあくまでこの作品を罪と罰、因果応報的な作品だと思って作ったことでしょう。しかし出来上がったのはまるで逆であり、因果応報などこの世にはなく、悪は罰されず弱い立場にいる人間がその割を食うという展開になっています。なぜこのギャップが生まれてしまったのでしょうか?
 これはあくまで推察になりますが、監督の世界観、特にジェンダー観が非常に偏ったものだからです。男性はどんなに些細な罪を過失であっても許されてはならず、女性や性的に好みの男性はどんなに悪いことをしても罪にならないという非常に差別的な世界観を製作者側は内包しているのです。だから、メイやカイミールの故意に行った悪事がまるでなかったかのように扱われ、マスターソルの過失は死を持ってつぐなわされるのです。オーシャはろくに話も聞かずに命の恩人を殺し、友人を大量に殺した男と手を繋ぐ。女性は何をしても責められないし、やりたいように生きればいい。そういう価値観を無意識に内包していなければこの作品は作れないでしょう。
 そして、その恐ろしい世界観、差別的な感覚を感じ取った視聴者は、酷い嫌悪感をいだくのです。

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