2022/01/14

今朝は、シナモントーストとオールブランだった。寒すぎて雪が積もっていた。午前中に病院に行って午後に会社で定形の仕事をする予定だったのだが、結局、通院を午後にずらし、仕事を月曜にずらした。

お車で通院するのが危険視されるほどの積雪だったので、電車を使った。電車に乗るのも数ヵ月ぶりという感じがする。ホームで電車を待っていると、オミクロンのことをミクロンの丁寧語だと思っている人がそのことを隣の人に話をしていた。いつ真実に気がつくだろうか。

電車の行き帰りで手記にいろいろ考えを書いていた。ごく最近は、手記が1日に4ページのハイペースで進んでいる。今日は、おおよそ数学のことについて考えていた。研究の方針はこういうのがあったなど思い出して箇条書きにしたところから始まって……結局いまは数学との親和度を上げていくことが最も大切であって、方法はなんでもよいから、まず問題を解いている時間を増やしたらどうかとか、ノートとして残すものに完璧を求めすぎてしまうのなら、いっそ計算用紙に全部書いて、どんどんバスケットに放り込んで忘れていったらどうかとか、そういうことを考えていた。いつでも自分は方針の転換をせまられている。

自分はよく、人生の重要な局面で、毎晩繰り返し《駅》の夢を見る。分かりやすくも、駅は進路の分岐点を示唆している。複雑怪奇な路線の乗り換えを、訳のわからない使命感に駆られて果てなく重ねる姿は、自分が自分の無意識と合意が取れているところの自己像である。《駅》の夢は断続的に20年ほど続いてる。この合意にはそれだけの時間が必要とされた。

数学という言葉も、あえて使わない方がいいかもしれない。それを取り出して目的語とすると、なんだか直接やり合わないといけない気になってくるのだけど、そういうことじゃない。数学は媒介であって、隣で並走するか、たたずんでいるか、後光がさしているか、いずれでもいいのだけど、勝負しているわけではない。あらゆる数学の問題を解いていても、対峙しているのは数学ではない。かといって誰か別の人というわけでもない。数学を介して誰かと競るという感覚は、生まれてから一度もわいたことがない。

自分の未開発の機能としての、数学を司る歯車がきちんと噛み合えば、全く想定していなかった景色に出会えるだろう。それを期待したいよね。

そういう方針を立てて、家についたところ、寒さで指の感覚が全くなくなって、玄関で手記と筆記具をぽたっと落とした。妻がその音に気がついて、家の奥からやってくる。そして、沸かしておいた湯船に僕を漬けて、体の芯から解凍してくれた。夕食は、雑煮や金平牛蒡やかき揚げなど、豪華だったのだが、頭で全然別のことを考えていたので、写真を撮るのを忘れていた。妻は、そんな僕を微笑ましく眺めていた。

英単語:1000単語
お風呂(シャワーでない):入った

(2022/01/15 へ続く)

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