アイアンマンと神経症 トニー=スタークに於ける症状例

0.はじめに
今年の春に公開された映画『アベンジャーズ エンドゲーム』はアイアンマンやスパイダーマンをはじめとするアメリカンコミック『MARVEL』に登場するヒーローたちの物語の完結にあたる作品であり,世界中で大きな話題となった.中でもシリーズ1作目である映画『アイアンマン』の主人公であるトニー=スタークが激闘の末,死んでしまうという結末には多くのファンが涙した.アイアンマンの誕生から終結までを描いたこの10年は正しくトニースタークの生き様とも言える10年であった.以下では,劇中のトニーの心情,特に神経症の症状について多角的に考察する.
キーワード:アイアンマン,スーツ,エディプス・コンプレックス,あなたはだれ?,神経症
1.スーツについて
まずは「アイアンマン」のスーツに着目する.これは『アイアンマン』でトニー=スタークがテロリストに捉えられた際に脱出用に作ったものに改良を重ね現在に至るものである.アーマースーツを着て戦うというよくある設定ではあるが,これは自身が敵と戦う力を身につけると共に,"自身を守る盾''にもなる.これは何も,戦闘によるダメージに限るものではなく,精神的な盾にもなっているのだ.現に,トニーは『アイアンマン3』にてスーツ依存症となる.厳密には,劇中でもそう解説されるが,神経症となっていたわけだ.本項では主に『アイアンマン3』の時間軸について触れる.
神経症の症状形成の経路に於いて,まず心的外傷が重なっていくことから始まる.これは時には快楽,即ち気持ちの良いことの可能性もあり,トニーがヴィランとの戦闘を通して精神的疲弊を重ねたことだけではなくヒーローとして活躍し多くの人に注目され,名声を得ることもまた心的外傷にあたる.次にその積み重ねに引き金となる事象が発生することで容態が変わる.心が,重ねてきたトラウマの頃(時間軸に於いては過去)へ戻ろうとするのだ.一般に退行と呼ばれる現象である.トニーにとってのトリガーは映画『アベンジャーズ』に於いての戦闘そのものだ.今までは地球規模のヴィランであったが,『アベンジャーズ』では宇宙からの敵の襲撃を目の当たりにし,異空間に閉じ込められかけてしまうことになった.地球内では負け無しであったアイアンマンが初めて「敗北」を予感したのである.その先に待つものは当然,地球が侵略されることであり,アイアンマンとなる前は武器製造の事業を行っていたトニーにとって征服されること,侵略することが如何に恐ろしいことかは容易に想像ができたはずである.ここでの退行は,アイアンマンとなった直後のいわゆる負け無しであった時代やもっと遡れば17歳にしてマサチューセッツ工科大学を主席で卒業した輝かしい経歴の頃とも取れる.ここに現実の圧力や超自我による妨害が加わることで,神経症を引き起こす.現実の圧力とは,マスメディアによる執拗な取材(宇宙人から地球を守れるのか?といった取材はひっきりなしであっただろう)や『アイアンマン3』でのテロリストとの戦闘にてスーツが破損.開発施設そのものも破壊されたことによって,実質的な「敗北」を味わうこととなることが当たる.超自我の妨害は自身への禁止命令であり,退行を阻止しようとする.過去の栄光にすがるのではなく,もっと様々なアーマースーツを作りあらゆる事態に備えねばならないという意識の現れがここに伺える.この結果,トニーに現れた症状は不眠症であり,睡眠時間をアーマースーツ開発に注いでいき,最終的にはスーツなしではパニック発作を引き起こすまでになってしまう.ところが,劇中で出会った少年のある言葉をきっかけにトニーの様態は変化を起こす.それは”トニーはメカニックでしょ.なら別のものをつくれば?”というものだった.破損したスーツを前に立ち尽くすのではなく,また0から作り直す.これはトニーの発明家としての心に火をつけ,アーマースーツではない自作の武器でテロリスト集団の元へ乗り込むきっかけとなった.また結果としてトニーはスーツを全て破壊し後に”スーツはボクを包む繭だったんだ”とも表現した.このことは3.I am IRON MANで述べる事項にも直結する話である.

2.父・ハワードとエディプス・コンプレックス
『アイアンマン2』に於いて,発覚する事態であるがトニーはアーマースーツを稼働させるたびに有害物質を体内に取り込みながら闘っていた. 死期が近づいたことでイライラすることも多くなったトニーは周りの人へ攻撃的な態度を取ったりしてしまい,すれ違いも発生する.これもまた神経症の一環とも言えよう.
さて,トニー=スタークは『アイアンマン』から『アベンジャーズ エンドゲーム』にかけて抱えている別の問題もある.それは,父・ハワード=スタークとの関係だ.同性親との関係から連想されるワードはエディプス・コンプレックスである.エディプスコンプレックスは,ギリシア神話『オイディプス王』からとられた精神分析の用語である.大まかな概要としては子は同性親を憎む,というものである.幼少期からメカニックとしての才能を発揮していたトニーはやはりハワードの教育環境下で育ったことが要因であることは言うまでもない.一方で,ハワードの存命時代の憎まれ口は多々あり,トニーの弟子とも言える高校生のスパイダーマンへの叱責の際に”父親みたい”と嘆いたりと父親像というものにイイ印象は持っていなかった.母親への性愛という表現は今シリーズ内では強調して描かれていなかったが,やはり発明家として尊敬すると共に嫉妬の念も抱えていたであろう.また父が死んでからは色々やらかしているとも述べていた.そこを溶かし始めたのが『アイアンマン2』の父からの遺産である.トニーはハワードの遺品からヒントを得て,無害物質の生成に成功する.”死んで20年も経つのに,まだ教える気ですか”と苦笑するシーンがある.この発見から,無事精神状態を安定させることに成功する.また映画『シビルウォー キャプテン・アメリカ』にて父を暗殺した犯人が分かったときには,犯人を殺めるべくアーマースーツを起動させた.これは,第二局所論に於ける自我が働いていない状態になったわけだ.ここから推察するにトニーはやはり,父を憎んでいるのではなく,愛していたのだ.また,映画『アベンジャーズ エンドゲーム』ではタイムスリップを行い,ハワードに接触する.その際は別れ際に”愛しています”と自身の後悔を清算することとなった.

3.I am IRON MAN.
ここまでの考察を経て,トニーは映画上の時間軸においてたびたび精神疾患の症状を引き起こし,自身の力や他者の影響を受けて解決し進んできた.
ところで,世界的にも有名な哲学書『ソフィーの世界』の冒頭に”あなたはだれ?”という問いかけがある.これは哲学の出発点とも言える問いかけであるが,映画『アイアンマン』,『アベンジャーズ』シリーズではその問いに対して答えを出している.
アイアンマンの代表的なセリフ”I am IRON MAN.(私がアイアンマンだ.)”について考察していく.これは,デカルトの”われ思う,ゆえにわれあり”と通づる.トニーは映画『スパイダーマン ホームカミング』にて,スパイダーマンに対し”(スパイダーマンの)スーツなしじゃダメなら,スーツを着る資格はない.”というセリフからも得られる.アイアンマンとは,アーマースーツを着るからアイアンマンになれるのではない.自身をアイアンマンと定義づけることこそがアイアンマンなのである.このことに気づいたが故に,トニーは精神疾患を抜けだしたと言ってもいいかもしれない.また,これはトニーの死に際に残した言葉でもある.自身がどんな状態であっても自身を保ち続けることの意味を得たのだ.
これは何もトニー=スタークに限った話ではない.劇中こそ名称を設定し私は~である.としたもののそうではなく,もっと抽象的な自身を定める概念に対し,アイアンマンという名前を付けたに過ぎない.私たち自身もまたその抽象的概念に名前を付けることで,”あなたはだれ?”という問いかけについて言語化を図って回答しうるのである.人は常に病気であり,誰であろうと神経症を引き起こしかねない.その時に本当に自身を救えるのはやはり,自分自身だけなのである.
4.おわりに
映画『アイアンマン』シリーズ,ならびに『アベンジャーズ』シリーズは,トニー=スタークの闘病生活の記録とも言えるだろう.10年という壮大な時間をかけて,練り上げられた作品は精神分析の観点からも非常に多くのことを学べる.哲学するとは,自分自身と向き合うことだが,今回のレポートを通して私はトニー=スタークをより深く愛することとなった.劇中ではあるものの,命を賭けて地球を守ってくれた,アイアンマン・トニー=スタークに敬愛と追悼の念を述べ,おわりとする.


引用文献
1.映画『アイアンマン』監督 Jon Favreau,配給 ソニー・ピクチャーエンターテインメント
2.映画『アイアンマン2』監督 Jon Favreau,配給 パラマウント
3.映画『アイアンマン3』監督 Shane Black ,配給 ディズニー
4.映画『スパイダーマン ホームカミング』監督 Jon Watts,配給 ソニー・ピクチャーエンターテインメント
5.『ソフィ―の世界』ヨースタイン=ゴルデン著,須田 朗 監修,池田 香代子 訳,1995年日本放送出版協会
参考文献
1.映画『シビルウォー キャプテン・アメリカ』監督 Anthony Russo,Joe Russo,配給 ディズニー
2.映画『アベンジャーズ』監督 Joss Whedon,配給 ディズニー
3.映画『アベンジャーズ エンドゲーム』監督 Anthony Russo,Joe Russo,配給 ディズニー

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