Andrew Gabbard - Homemade
稲刈りも終え、畑仕事もひと段落。冬の気配が濃密に漂い始めた里山の、早朝の凜とした空気がなんとも心地よいし、夕方の暑くも寒くもない弛緩した空気も悪くない。ただ、こんなクソ田舎(だからこそか?)にも最近とみに増えてきた、あの山肌を覆う太陽光パネルだけは、なんともいただけない。実にグロテスク。せっかくの清々しい気分も台無しだ。
二酸化炭素を減らすためには、森林が伐採されても仕方がない。それは偉大なる犠牲なのだ、とでもグレタ・トゥンベリは言うのだろうか。環境活動家たちにとって、太陽光パネル製造、運搬、設置家庭のCO2排出量とか、送電ロスとか、そもそもそんなことはどうだっていいのかもしれない。彼らの目的は、陳環境保護なのではなく、活動そのものなのだから。地球の寒冷化だけは避けてほしいと願う、クソ田舎の農夫は、学のなさも手伝って、こんな風に勘ぐってしまうのである。
というわけで(理由などなんでもいいのだ)、今日は午後4時から飲酒。アテは、Andrew Gabbard - Homemade(2021)である。安スコッチでつくる、ややスモーキーな、濃いめのハイボールにもよく合うサウンドだ。
2021年にリリースされていたらしいこのアルバムの存在を知ったのは2022年に入ってから。その後、彼が兄貴とやってるThe Gabbard Brothersのアルバムを入手し、サブスクで過去のソロ作や、Buffalo Killersなど、関連音源を聴き漁った次第。つまり、ハマったのである。
これまで、時代に関係なく広く浅く、アメリカの音楽に親しんできたはずなのだが、Buffalo Killersの存在そのものを知らなかったのは、どういうわけなのだろう。こちらの想定よりも、深いところに潜んでいたのか。あるいは、これが、俗に言うインターネットが招いた社会の分断なのか。いや、ただ僕が音楽雑誌を読まなくなったせいなのだろうけど。
その音楽から受ける印象は、Neil Youngとか、Grateful Dead、あるいはBlue Cheer、同郷のJames Gangなどのエッセンスを、90年代に多感な時期を過ごした者ならではのオルタナティブな感性によって再構築したもの。ともすれば、シラフではなかなか楽しめそうもない、アーシーなサウンドがクセになるのは、そこかしこに紛れ込むAndrew Gabbardの非凡なポップセンスのおかげだろう。
その音楽から濃密に漂うのは、1960年代後半から1970年代半ばくらいまでの米国ロック、とくにカバーもしているEmitt RhodesやBrian Wilson、あるいはBeatles(のWhite Album、とくにJohn LennonとGeorge Harrison)らが描いたやや歪んだ世界である。とくにガレージバンド出身の彼が参考にしたのは、偉大な先人たちの、オーセンティックなR&Rからの逸脱、あるいは寄り添い方だったのかもしれない。
それにしても、なぜ彼は、このアルバムを機に名義変更をしたのだろう(もとはAndy Gabbardだった)。もしかすると、この改名は、作品に対する満足度の証なのかもしれないし、このアルバムがソロ活動における、そのまた課外活動的な立ち位置であることを明示したかっただけかもしれない。あるいは、とくに意味はないのかもしれない。
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