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『TAR/ター』をみた


『TAR/ター』を鑑賞。アマプラで。できれば劇場で観るべき作品だった。今さらである。

冒頭からなんかうっすら怖い。どこかの民族的な調べが流れる中、暗い画面が続き、現代音楽ばっかり聴かされるのではないか、とか色々不安にさせられた後に、ベルリン・フィルの女性首席指揮者に就任し、キャリアの絶頂期にあるリディア・ターが登場するのだが、その輝きの裏に静かに忍び寄る影の存在を我々は感知せざるを得ない……。巧妙な明暗のバランスが、中盤以降どんどんと崩れていき、観客の鼓動も速くなっていく--つま先から髪の毛先まで隙のないケイト・ブランシェットの繊細な演技はもちろん、緻密な演出も素晴らしかった。

己の理想を実現するべく、容赦のない振る舞いをするリディアの態度に、ハーヴェイ・ワインスタインウディ・アレンらがキャンセルされた容赦のないキャンセルカルチャーを通過した我々鑑賞者はみな心中こう呟いたに違いない。「リディア、脇が甘すぎるぞ! 大丈夫か!」と(案の定、大丈夫ではなかったのだが)。

リディア・ターが師事した(という設定だ)レナード・バーンスタインの時代なら、もしかすると取るに足らない醜聞として処理されたか、あるいは問題にすらならなかったかもしれない芸術家、あるいは権力者としての振る舞いについて、クソ田舎の農夫は懐かしさすら覚えてしまった。それは裏を返せば我々はずいぶん遠くまで流されてきたことの証でもある。そんなことを考えさせられた映画でもあった。

ちなみにバーンスタインの交響曲といえば、やはりグスタフ・マーラーである(両者はユダヤ系だ)。ナチス時代にキャンセルされたマーラーの交響曲を、ベルリンで、しかもレズビアンの指揮者がタクトをふるうというヒトラーが聞いたら失神してしまうであろう設定は、芸術の政治性についてのメッセージを含んでいる。賛否両論あるエンディングは、権力を失ったマエストロの凋落なのではなく、芸術とは? 芸術家とは何か?とかそんなことを表現しているようにも読めた。

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