海外の圧力はこれから激しさを増す

桜咲く穏やかな日の2024年4月6日現在、日本の家族法改正案は、衆議院議会で与党案の審議を経る段階にある。
連日、国会での質疑が行われているが、政府与党の骨抜き共同親権制度案に対抗する野党案は国会提出を見込めず、各党の国会議員や一般参考人の見解や、質疑応答のみに終始している状況だ。
その中でも問題の本質を突き、先進国基準の家族法案を目指すことに尽力している本物の民間人と国会議員は限られている。民間法制審議会の座長であり、弁護士である北村晴夫氏、数いる国会議員の中でも、自身が実際に実子誘拐の被害に遭い、真の家族法を理解し推進している自民党の谷川とむ氏、この両名が4月4日、5日に参議院 法務委員会での質疑で答弁した。北村弁護士、谷川議員共に、極めて常識的な観点で答弁しており、子供が自己肯定感を育み、親からの無償の愛を受けることが、子どもにとっての人格形成において極めて重要なことを深く理解している。そして、それが子供を心身ともに健やかな成長を促すことも知っている。対して、単独親権を維持したい勢力は日本の統計でも僅か5%にも満たない家庭内暴力の事例を挙げ、共同親権制度に反対する意見に終始している。その反対派がDVを理由に論じている内容の“主人公“は、あくまで“母親“を主とした意見であり、反対派の答弁には、“子供の成長には何が必要であるか“の論点は全くと言えるほど皆無である。極めて不健全であり、立法趣旨、および立法に至った経緯と原因を理解しておらず、論点のすり替えであると言い切ることが出来る。
日本維新の会の渡辺やすゆき候補の動画でも引用されており、私も以前、マッカーサーについての記録を読みあさっていた頃の事を思い出させて貰った。
第2次世界戦争で日本が敗戦後、占領軍の最高司令官であったダグラス・マッカーサーは、帰米直後、米上院公聴会でこう証言した。少し長文になるが、読んでみてほしい。

以下 
「そうですね、ドイツの問題は、完全に、そして全面的に、日本の問題とは違っています。
ドイツは成熟した人種でした。もしアングロ・サクソンが人間の年齢で、科学や芸術や宗教や文化の面でみて、
まあ45歳であるとすれば、ドイツ人も同じくらい成熟していました。
しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状況にありました。
近代文明の尺度で測れば、われわれが45歳という成熟した年齢であるのに比べると、

日本人は言ってみれば 12歳の少年と言ったところでしょう。



「指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい規範とか新しい考え方を受け入れやすかったのです。
日本では、基本的な考えを植え付けることができます。
日本人は、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができるほどに、白紙の状態に近かったのです。」

「 ドイツ人はわれわれと同じくらい成熟していました。
ドイツ人が現代の道徳を怠けてないがしろにしたり、国際的規範を破ったりしたとき、
それは彼らが意図的にやったことでした。
ドイツ人は、世界について知識がなかったからそうしたことをしたのではありません。
日本人がある程度そうだったように、うっかり、ついそうしてしまったというのではありません。
ドイツ人は、みずからの軍事力を用いることが、自分の望む権力と経済制覇への近道と考え、
熟慮の上での政策として、それを行使したのです」

「ドイツは言うなれば確信犯で、冷徹に国益の損得勘定を考えてああいう悪いことをやった。
日本はそうではない。まだ国際社会に出て間がなくて、ちょっと道を踏み外してしまった。
でも、自分が占領統治をして良い国になったのだから、大丈夫だ」
「日本はまだ12歳の少年で、まだ教育可能で、覚えが早くて優等生だ」

ダグラス・マッカーサーは日本人全体のことに例えたのだが、戦後70年以上経過した現在において、私が感じるのは、国会議員を含む日本の議員と、一般国民の多くは、精神年齢が未だに未熟すぎるほど未熟である。
今回の家族法改正に係る成り行きを見ていても、一般国民である被害者が、国会議員ばりに政策論を語り、なんの確証も確定事項もなく改正後の行政改革を予想したり、改正後の更なる改正を示唆していて、憶測と推測を混合して考え、自身の希望的憶測を、あたかも事実として進行する法改正だと信じ込む。そして、自分に都合の悪い事実や推測を、理論を組み立て論ずる者に悪態をつく者もいる。

国会議員に関しても、国会議員として最低限のことすら行わないばかりか、諸外国や、真摯に生き、真っ当な考え方を訴える国民を侮っているかの如く、不文律の常識すらないように感じる。

そうではない。一般国民である私たち被害者は、国会議員に忖度したり、諦めることが責務ではない。議員が間違っている事に対しては、その真意を見抜く力を養い、はっきりと意思表明する事が私たちの役目であり、権利だ。
そして、国会議員は国益を最優先に考え、国民の利益になる事に真っ直ぐに向き合い進む。

この二つしかない。

前述した話に戻るが、国会議員に忖度し、「ここは一旦、議員の言うことを聞いておいて妥協しておこう。」などと考え、全くもって不備な法案に頷いているのであれば、そういう人は、国民の権利を自ら放棄しているのである。間違ったことには間違いだと指摘し、より良い社会に変えていくのは私たち国民の側なのである。その私たちの意思を尊重し、政策に反映させるのが議員の責務なのだ。国民の意思を反映せず、改善させないのならば忖度する必要はないし、議員に忖度することは私たちの責務ではない。もし、不備な政策を謳う議員に寄り添い、不協和音を解消しようと穏便に成り行かせ、それが明らかに弊害となる場合、それは成熟した大人の対応でもなんでもない。それを大人の対応と考えているのなら、それは、マッカーサーが言うように「12歳の少年」なのである。そして、現在の家族法改正案に妥協し、忖度することはどういう事かというと、

例えばあなたの子供は、意識的にも無意識的にも“お父さん(お母さん)に会いたいと思っているでしょう。しかし、ほとんど会えないか、全く会えない状況とする。それが何年も続き、大きくなってから会えたとしましょう。その時、子供はあなたにこう言います。

「何年も前、日本はお父さん(お母さん)と僕(私)が会えるように法律を変えようとしていたんでしょ?僕と会えない法律だったけど、みんなで偉い人に反対して、お父さんも頑張ってくれたんでしょ? 僕、お父さんと会いたかったよ。」

と。

その時に胸を張って“お父さんはおまえに寂しい思いをさせないように精一杯がんばった“

と言えるのでしょうか。もちろん、自身の係争などで精一杯がんばっている方も多いでしょう。
私は、子供のことを一番に考えた時、子どもに顔向けできない事だけはしないと誓った。当の別居親である私を含む私達まで、何かに忖度してはいけないと思う。

子供の親への思い。
過去の投稿だが、お時間があればご覧下さい。


話がそれて前置きが長くなってしまった。

当事者の方とコミュニケートしていると、外圧が大事、と聞くことが多い。だが実際は、日本の議員に陳情するように諸外国の政府やメディアとコンタクトをとり、訴えかける事には、想像するだけで難しいと感じ、億劫になるでしょう。しかし、訴え方を間違わなかったら難しい事ではないと私は思います。先日はカナダ大使館とカナダ政府から連絡と文書への返事をもらった。昨年はアメリカの東京大使館、大阪・神戸領事館とコンタクトをしたり接見をした。国連にも報告書を提出したり、申立てを提起した。私はどちらかと言うと、裕福でもなければ学歴もない一般庶民だ。
外圧といえば、フランスやオーストラリアの当事者がメディアへ提起したり、EUや他国政府が日本の家族法に言及したりするのを、私達はソーシャルメディアなどで拡散することに留まっている場合が多いが、個人でもやれば出来る。ただ、その場合、諸外国はあくまで自国民を救うことが前提である事は、心得ておかなければならない。日本人である私達が「私たちを救って下さい」と言っても諸外国は何も出来ない。

各先進国の政府は、日本の家族法改正案が“偽物“だと理解した。特にオーストラリア、カナダ、フランス、アメリカは理解している。イタリアからは返答待ち、ドイツとイギリスは確認中だ。さらに、詳細は省くが本日、本国在住の外国人当事者から「家族法改正後、諸外国が反発する可能性が高い」と連絡があった。この当事者は政府ともコンタクトをとっている。

衆参両議会を通過しても、偽物法案に強い遺憾を示す可能性がある。どこまで効果的なものになるかは定かではないが、個人個人でも外国政府とコンタクトを取る事は、やり方を間違わなければ家族法にマイナスにはならない。
米国は500人以上、豪で約90人、その他の国の被害者も、今後の家族法改正案では救われない可能性の方が高いのだから。

因みに、以下は以前国連や欧州議会に提出した報告書の主文とその他の報告書のPDFです。これに関しては基本事項しか書いていませんが、お時間があれば是非ご覧下さい。

是非とも皆さま、諸外国への働きかけにご尽力頂けたらと思います。

では。

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