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100年後に誇り高い「日本の味」を繋げるために旅をする / 醤油ソムリエール 黒島慶子reasons why we travel

幼少期からアートの世界にどっぷり浸かる島娘であった私が、20歳の頃から突然、何かに駆り立てられるかのように醤油蔵を巡り始め、早17年が経つ。巡ってきた醤油蔵は約150箇所。酒、味噌、味醂、酢、麹屋、種麹屋など、醤油以外の醸造蔵もカウントすると合計約200箇所に達する。結婚前は毎月1週間〜10日ほどかけて旅をし、結婚後も愛知県西尾市の麹屋当主である夫、そして娘と一緒に日本全国の醸造蔵を訪ねる「発酵旅」をゆるゆると続けている。

「昔から醤油が好きだったの?」とよく聞かれるが、そんなことはない。実は、「木桶で醤油を造る」ことは幼少期からの日常風景すぎて気に留めたこともなかった。ふるさとの親族やご近所さんに質問し、真正面から向き合あって初めて、私の中に「木桶」も「醤油」も存在し始めた。

醤油蔵を巡り始めたのには、きっかけがある。芸術大学に通い、「情報の伝えかた」について学び、表現を極めたいと考えるなかで、自分のルーツを知る必要があると気づき、ふるさとのまちを調査し始めたのだ。

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私が生まれ育ったのは、瀬戸内海に浮かぶ香川県小豆島。小豆島は古来お醤油造りの代表産地で、明治時代には400軒もの醤油蔵が軒を連ねていたそう。今でも島内に19軒の醤油蔵があり、実家の周りに15軒の醤油蔵がある。ご近所さんも親族も醤油の仕事をしていることから「ふるさとを調べる」ことはそのまま、「醤油を調べる」こととなった。

「醤の郷」で生みだす醤油の最大の特徴が「木桶仕込み」である。木桶仕込みに向き合う蔵人の話は、私の人生を変えた。実は「木桶仕込み」の醤油は、全国で生産される醤油のたった1%程度しかない。戦前は当然のように醤油は木桶で仕込まれてきたが、戦後は安定した品質の醤油を速く大量に造ることができるタンク仕込みに切り替わっていった。醤油を安価で販売できることもあり、あれよあれよと木桶の姿は消えていった。しかし、ここ小豆島では、木桶仕込みを守り続け、その1%の「木桶仕込み醤油」のうちの1/3〜1/2が、小豆島産なのだ。

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地元の蔵元を巡って、初めて醤油業界の現実を知って驚いた。そしてそのこと以上に、私を驚かせたのは、蔵元と蔵人のかっこよさだった。一人ひとりそれぞれ違う想いがあり、蔵や醤油がその想いを見事なまでに体現していた。近所のおっちゃんや親族の見え方がガラリとかわり、この地域で生まれ育ったことへの誇らしさが湧き出てくるのを感じた。一気にその世界に魅了され、何度も何度も通うようになった。

「木桶仕込み醤油」の何よりの特徴は、「個性豊か」であること。「一定品質」な醤油にしやすい、「タンク仕込み」と異なり、「木桶仕込み」の醤油は、蔵人の人柄や醤油造りへの姿勢が風味に出やすい。タンク仕込みは、人工培養した菌を添加し、理想のタイミングで理想の温度に上げたり下げたりしながら、多くは半年前後かけて造るのに対し、木桶仕込みは、蔵の天井や壁、木桶に棲みついた菌が、1年以上かけて発酵・熟成させていく。無数の菌が共存するため、理想の菌が優位に働けるよう衛生状態を保ったり、諸味の様子を見て、嗅いで、味わい、発酵音を聴きながら必要に応じて攪拌するなど、理想の菌の活動を手助けしたりしながら仕上げていく。さらに、桶ごとにも「桶癖」があって変化の様子が異なる。このような複雑な変化に対する向き合い方、理想の風味に仕上げるための自身の哲学が醤油の風味に反映されるのだ。

心から感銘を受けた地元の醤油造りだが、小豆島も含む全国の醤油業界が楽ではなかった。全国の醤油蔵の数はこの60年間で75%減。全国の醤油の生産量も、この20年で約3割減に。「儲からんから続けるんも苦しい。こんな状態では子供に継げとも言えない」「生まれ変われるなら醤油屋以外がいい」という、苦しい声もたくさん聞いた。

知ってもらわなければ、買ってもらえない。それに、醤油を選びたい人がいても、醤油を紹介するスペシャリストもいない。店頭で選ぶ時は大抵値段で選ばれてしまう。どうすれば……と考えた末、「私が一生かけて醤油を伝えていく」と、決断した。

とはいえ、当時の私はアートのことしか知らず、販売や流通、料理などですぐに役立つことができない。それでも、「表現」しかできないのであれば、「表現」でできることならなんでもしようと決め、まずは「醤の郷」のWebサイトを勝手に作り、公式サイトとして認めてもらった。私個人のブログでも情報発信を続け、地元のメディアで執筆したり、醤油の選び方や使い方を伝える講座を開催したりするようになった。同時に、伝える技術をさらに身に着けるために、島外のWebデザイン会社、継いでグラフィックデザイン会社に勤務し、その後小豆島で独立した。

醤油についても勉強しようと島外の蔵元も巡り始めると、地域ごとの醤油の味や造り方や、またその醤油を使った郷土料理があることを目の当たりにした。全国に素晴らしい蔵元があり、異なる風土や文化があるのであれば、必ずしも小豆島の醤油が合うわけではないとわかり、本腰を入れて全国の蔵元を巡り始めた。

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全国の蔵元から頂いた、かけがえのない教えはたくさんある。例えば、遥か離れた秋田県にある「石孫本店」。全国各地で「昔ながら」を重んじる蔵のなかでも、今なお燃料に石炭を使うなど、全国トップクラスの昔ながらの造りを続けている蔵元。その理由は、「スタッフには、誇りを持って醤油を造ってもらいたいの。機械だったら自分がどこに関わったかわからないけれど、昔ながらの道具なら手掛けた形跡が見えるでしょ。機械化させた方が効率し、道具を修繕できる職人も減って大変だけど、そのこと以上にみんなにやりがいを大切にしたい」というものだ。愛情溢れるお母さんのような女性社長の言葉に「昔ながら」の本質を教わった。

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はたまた、アミノ酸液や甘味料などを入れた「混合醤油」を造る蔵元の配達について行った時のこと。アポなしで訪ねたにも関わらず、配達先の家のお母さんが嬉しそうに迎え、「昼ごはん食べて行き」と、突然昼食を次々と出してくれた。「この醤油は最高だ。お姉ちゃんがこの醤油を広めな!」と力強く訴えられ、「この醤油のどんなところが好きですか?」と尋ねると、「このおっちゃんが造るもんは間違いない」と言うばかり。ラベルを見たことも醤油の詳細を聞いたこともないそう。造り手に対して厚い信頼があるこの醤油を使った食卓には幸福感と満足感が溢れていて、材料や造りかた以上に、心を豊かにさせる醤油であることが大切なのだと学んだ。

そして、最大手のキッコーマン。訪ねたら、そのイメージが180度変わった。なかでも、戦後の話が印象に残る。戦時中の物資不足が深刻化し、GHQが原料の使用を制限したことに伴い、醤油業界は原料となる大豆を手に入れることができなくなった。アミノ酸液に甘味料やカラメル色素などの化学調味料を加えただけの、醸造しない化学的な醤油造りを余儀なくされたが、日本の醸造を守るために、キッコーマンはアミノ酸醤油並みの高歩留まりにしつつも、「醸造」もする折衷案を考え出し、GHQに交渉。GHQも認めてくれたその製造法に対し、特許を独占することなく全国の醤油蔵に伝え、全国の醤油業界の「醸造」を守った。このような「リーダー」としての存在を実感する話がたくさんある。

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実は内心、活動の枠を全国に広げることを島の蔵元はどう思うだろうかと心配していたのだが、私の心配を他所に、島外の蔵元の情報を喜んで聞いてくれた。そして、全国に知り合いが増えると、メディアや飲食店、主婦に小豆島の醤油を紹介する機会もぐんと増えた。2015年には玄光社より、高橋万太郎さんと共著の『醤油本』を出版することになった。

私が醤油の情報を発信する時に決めていることは2つある。
1つ目は、偏りのない情報を発信すること。
2つ目は、私自身が実際に蔵元を訪ね、蔵人と話し、醤油を味わい、料理し、確認したことのみ伝えること。

この2つを実現するためには、醤油蔵に訪ねることが欠かせない。巡るほど、「偏り」はなくなっていく。「一番いい醤油」など存在せず、それぞれの消費者のライフスタイルに合った醤油を提案できるようになる。さらに、蔵ごとの特徴をより的確に表現できるようになるために、醤油の味を見て、嗅いで、味わって判断する「醤油官能検査員」の資格も取得した。一定基準の醤油と比較しながら、1本1本の醤油の特性を判断して、人に情報を届けている。

巡るたびに全国に仲間が増え、周りが誇り高い醤油を紹介してくれるようになる。そしてまた、旅をする。何より、蔵元を訪ねている時間が、私は大好きだ。

初めは、「醤油蔵のため」「世の中のため」と思って始めたけれど、気づけば幸せにさせてもらったのは私のほう。これからも蔵を巡り続けて、蔵元や、応援してくれた皆様に恩返しできる方法を見つけていこう。

【プロフィール】

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黒島慶子(くろしま・けいこ)
醤油とオリーブオイルのソムリエ&Webとグラフィックのデザイナー。小豆島の醤油の町に生まれ、蔵人たちと共に育つ。20歳の時に醤油を造る職人に惚れ込み、小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ね続けては、様々な人やコトを結びつけ続けている。
著書:「醤油本
瀬戸内への旅の玄関口
福山駅前のまちやど「AREA INN FUSHIMICHO FUKUYAMA CASTLE SIDE」
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住所:伏見町4-33 FUJIMOTO BLDG. 1F(RECEPTION)
AREA INN FUSHIMICHOは、まち全体をひとつの「宿」と見立てた「まちやど」です。泊まる、食べる、くつろぐ、学ぶ、遊ぶ、さまざまな要素がまちのなかに散りばめられています。チェックインを済ませたら、伏見町、そして福山のまちから瀬戸内への旅へ。

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