本当に嫌なこと
嫌だと思っていることについて、実は一般常識とか世間の常識を織り込んでいる場合がある
相手の言動が嫌だ→なぜなら一般常識的に考えてありえないから
相手の言動が嫌だ→なぜなら世間(周りの人たち)に、そんな人たちはいないから
この場合、実は本当に嫌だと思っていないことが多い
逆に、一般や世間は自分にとっても的でありアンチのはず
なのに身近な人間が、堂々とその行いをしていることに腹が立つ
本当は自分が堂々とやりたいのだ
それが出来ないから怒りに変わる
つまり、八つ当たりだ
この工程を経て考えないと行きつかない
ショートカットで「八つ当たり」と指摘されると、図星過ぎて怒りに変わる
そして、その怒りを必死で抑えて、別の方向に逃す
私は、この怒りを抑えるプロフェッショナルになりかけた
抑えていることに気づかないぐらい自然に、そして息を吸うように
しかし、これは家族の中では気づかれてしまう
一挙一動の中に漏れなく織り込まれ、特に子供はそれを引き出そうとしてくれる
これが、いわゆる親にとってのイラつきとなる
では、真に本当に嫌なことはないのか?
ある。
ただし、それを見出すには自分を見て、認識して、自覚する必要がある
(あくまで私の場合)
そして、真に本当に嫌なことは、きっと堂々と軽く言える
それを伝えることが、私にとっての大きなコミュニケーションの始まりとなる
だから、実は
嫌だと思ってたことについて、ほぼ嫌ではない
大体OKだ
そして、本当に嫌なことは固定ではない
水物で流動的で秒で変わる
体調と気分で変わる
そら当然や