自ら人生を空っぽにしていた件について
先日、妻とのディスカッションの中で過去に自分自身を消してしまっていたことに気づきました。
この気づきから全てが繋がって、全ての事柄の意味が判明したことをお話します。
感謝できない自分
今まで生きてきた中で、人に感謝ができない問題には何度も直面しました。
今でも、人への感謝を本当の意味で理解できていません。
誰かに「ありがとう」と伝えることに抵抗があり、何か自分に対して課している気持ちになります。
今では、常用語として自然に感謝を伝えれてはいるものの、気持ちとして完全に落ちていないのが現状です。
親からの言葉でも「ありがとうって言いなさい」と言われるのが本当に嫌でした。
人がいない
なぜ感謝できないのでしょうか?
感謝は自然なことであり、多くの人は感謝して感謝されることを喜びとしています。(おそらく)
しかし、自分にはその感覚がありません。
妻とのディスカッションの中で、自分の周りに人がいる感覚がないから感謝できないのでは?という仮説に行きつきました。
人がいない
自分の周りには人が存在せず、ただ事象だけが存在して、その影響を受けながら生きているのでは?
確かに、言われてみればそうなんです。
誰かに何かをしてもらうとすると、してもらった事象だけが存在して人が存在していません。
ご飯が宙を浮いて勝手に食卓に並べられる
そんな魔法のような世界の中で生きていることに気付かされました。
本当に非常識で不思議ですよね。
辿った記憶
なぜ周りに人がいないんでしょうか?
その問題は一旦横に置いて、自分の過去からヒントを得ようと記憶を掘り下げてみました。
小学校1年生か2年生の頃、登校途中で流れる川を眺めてそのまま遅刻するようなことが頻発したそうです。(母曰く)
それ以外にも、学校の先生や親たちから「自分の世界に入りすぎ」「マイペース」等の言葉をかけられた記憶があります。
また、これらのことがきっかけで母が精神的に参ってしまったり、泣いたりしていた記憶も蘇りました。
こんなことが日常的に起こっていた小学校時代の中で、僕はあることを感じるようになります。
自分をなくそう
母が悲しんだり怒ったりするのは、自分が存在しているからではないか?
自分がいなければ、母がこんなことにならないのではないか?
自分を消しにかかった
自分にとっての普通が、この世界では異常であり母を悲しませる原因になっている。
そう感じるようになった子供の自分は、今までの人生を徐々に書き換えていきます。
自分を消してしまう行為
こうして30年の月日が経ちました。
なんと周囲に人がいないのは、自分自身を消してしまったことが原因だったんです。
こんな状態では人への感謝なんか分かるはずもないし、コミュニケーションとは?人との関わりとは?関係性とは?
もっと言えば、この世界とはなんなのか?根本的な因果を理解しないままの人生だったと言えます。
長い長い第二の人生
おそらくですが、生まれて10数年で自分を消しにかかった強制的な人生に切り替わっています。
この世界に合わせて作られた虚像の人生
この間にも楽しいこと辛いこと、嬉しいこと嫌なことはそれなりにあったし、人を愛する気持ちもそれなりに育まれたと思います。
しかし、大元の土台になにか薄いモヤというか得体のしれない悲壮感のようなものが常にありました。
明確なサイン
今まで生きてきて、明確なサインがあったことも否定できません。
・人への感謝が足りない
・自分一人で生きているみたい
・周囲からはみ出ている
・謎
・孤独
これらのキーワードは、学校だけでなく職場や友人や彼女からも言われた記憶があります。
そして、結婚後では上記のことが原因で妻とケンカになることが増えました。
妻とのディスカッションで分かったのは、これらは自分に対する普遍的なサインであるということ。
このパターンは何度もあったんですが、自分の何に対するサインなのか?は不明のままだったんです。
そして、これらのサインが「自分自身を消した行為」から生まれたものであることが明確になりました。
これから始まる第三の人生
さて、ここまでくると色んなことが見えてきます。
きらきらに輝いていた幼少期
自分を消しにかかった青年期
これらの人生に気づいた今
まとめると以下のようになります。
・ダイヤモンドのような自分が世界と合わなくなり強制的にシャットダウン
・シャットダウンした状態の悲壮人生を30年歩む
・それを打破する為に妻と出会い気づく
巧妙だなと思うのが、自分を消していたことすら隠蔽していたことです。
まるで政府が文章改竄したことを隠蔽したかのうように、巧妙に設計されていました。
これも全ては自分自身を生かしめる為であり、親を愛する行為そのものと言えます。
今となっては自分を消す必要もなく、むしろ消す以前の状態を思い出すことが幸せな人生なんだと実感しました。