手段が目的に変わる瞬間
知らぬ間に目的を忘れてしまっていることがある
正しく表現すると、覚えてはいるが、行動やマインドが目的に向かっていない時期に入ってくる
それは、甘い蜜を含んだ、ふとしたきっかけからやってくる
例えば、仕事に対する充実感
新しいプロジェクト参画の近しい未来を勝手に想像して嬉しくなる感情等だ
これらは社会的に良いものとして扱われているが、私にとっては「罠」なんだと気づき始めてきた
私の目的、目標、ビジョン、表現は何でも良いのだが、とにかく時間の概念がない世界に生きたいと思っている
社会で生きる以上は時間は必須だ
しかし、それでも時間がない世界に生きたい
そこに向かうために、時間の概念がある世界で飯を食っている
ところが、いつの間にか時間に追われる仕事に対して充実感を求め、また実際に充実感を感じすることで目的になっている瞬間がある
このとき、私の本当の目的は薄らいでいる
そして、やはり体に異常をきたす
家族との関係に異常をきたす
ハードインパクトからの当初の目的を思い出す工程を踏む
もう良いだろう
ハードインパクトからだけでなく、自分で気づこう
どうせ私は、時間の概念がない世界に生きたい人間で、そこに人生を捧げたいのだ
一般の充実感や、その辺で見る輝かしいものとは違うものを掴むために日々生きている
粛々と、自分の世界を目指そう
そこに行くまでは、はっきり言って事務作業だ