
キリスト教の信仰と推し活
はじめに
皆さんに「推し」はいますか?
この文章において、「推し」とは、「単なる「好き」を超えて、人に推薦したい、紹介したい、薦めたいと感じるような対象」という定義で話します。
アイドルをはじめ、今では俳優やアニメキャラクターなど、様々な対象に対して「推し」という言葉が使われています。
私はこの「推し」について、キリスト教との共通点がとても多いと感じることがあります。
いきなり過ぎて、どういうこと?と、思っている方々が多いと思いますが、この考えについて論文が出ているなど、最近「キリスト教の信仰と推し活」の共通点について着目されているんです…!
一見関係の無さそうなこの二つに、共通点があるなんて、面白いと思いませんか!!
今回は、「キリスト教の信仰と推し活」の共通点について話し、皆さんにこの面白さを共有できたら嬉しいです!ぜひ読んでいってくださいね!
共通点
まず、皆さんは「推し・推し活」についての用語について何を思い浮かべますか?
1980年代頃からネット掲示板を通して徐々に広がった「推し」という言葉と共に、推しを推す活動を示す「推し活」などと、様々な推し活用語が現在では使われていますね。
私はこれら用語から、二つの用語とキリスト教との共通点について話していきたいと思います!
布教
一つ目の用語は「布教」です。皆さんは聞いたこと、または使ったことはありますか?
推し活においての布教とは、「自分の大好きなアイドルやアーティスト、俳優、声優、配信者、芸人、キャラクターなどを周囲の人々に紹介する活動」であり、推しを布教することで、推しの新たなファンを増やすことができます!
私自身も、互いの推しを布教し合うことで、新たな推しとの出会いをすることがあります。
では、キリスト教においての布教とは何でしょうか?それはもちろん、宗教を広めることです。
皆さんに1番馴染み深いのは、「フランシスコ・ザビエル」という人物ではないでしょうか?
おそらく、小学校や中学校の歴史の授業で、フランシスコ・ザビエルについて学んだ方が多いと思います。
フランシスコ・ザビエルは、イエズス会の宣教師(教会から派遣された、キリスト教を布教する人)であり、1549年(戦国時代)に鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教を伝えた人物です。
ザビエルは、「東洋の使徒」とも呼ばれ、多くの日本人にキリスト教を布教しました。私が調べたところ、2年余のうちに平戸や山口などで伝道に励み、500人に洗礼を授けたとあり、インターネットのない当時に、他国の全く浸透していない宗教をここまで布教することができた、フランシスコ・ザビエルは本当に凄いですよね!!🫶
九州、特に長崎県に住んでいる方、または行ったことがある方は、「教会」を多くみませんか?
それは、聖フランシスコ・ザビエルが、平戸にポルトガル船が入港したことをきっかけに、拠点を平戸に移して布教活動を展開したことが理由です。
長崎の平戸ザビエル記念教会からも、ザビエルの布教を感じることができますよね!
このようにキリスト教において、布教とは、キリスト教を広めることであり、日本にもキリスト教が布教されています。
では、皆さん!二つの「布教」について語ってきましたが、何か思うところはありませんか?
「似てる」と感じた方がいらしたら、とても嬉しいです!私この二つの布教、似てると思うのです。
①自分の信仰してるもの、推しを広める
②広められた人が新しく進行する、推すことを求める、目指す
など、布教という用語を同じ意味合いで使っていますよね!
最近よく耳にするようになった推し活と、キリスト教では、布教という言葉を使う、布教をするという共通点があります!
推し活をする皆さんは、布教をするものが異なるだけで、ザビエルをはじめとする使徒・宣教師と行っていることは変わらないと思うと、なんだか面白いですよね!
祭壇
次に話す用語は、「祭壇」です。推し活をしている皆さん、または推し活についての投稿を見たことがある皆さんは、「祭壇」という用語をSNSなどで見かかることがあるのではないでしょうか?
推し活でいう祭壇とは、「自分の大好きな「推し」を自宅に招き、心ゆくまで愛を捧げるための特別な空間のこと」。神社仏閣にある祭壇のように、推しの写真やグッズ、関連アイテムなどを美しく飾り付けることで、その空間は聖域と化すること。
推しの誕生日に祭壇を作り投稿したり、買った推しのグッズを祭壇に並べたりと、推し活をする際に「祭壇」という用語を使う方が多いと思います。
では、キリスト教での「祭壇」はどのようなものでしょうか?キリスト教では、聖堂内においてミサ聖祭が執り行われる台を一般に祭壇と呼びます。
祭壇の使われ方の例として、私はカトリックのミサに参加しているので、カトリックのミサと祭壇について話させていただきます。
皆さんは追悼ミサを知っていますか?
追悼ミサは、亡くなった方を思うミサです。聖歌を歌い、祈ることで、亡くなった方を思い出すというものです。
カトリックでは、祭壇を追悼ミサまで設置します。
祭壇には、十字架や聖書、パンなどをのせます。
このように、祭壇はキリスト教でも使われています。
キリスト教における祭壇の役割は、
①最後の晩餐の再現
②神との出会い
③教会の中心
です。
①について、祭壇は、イエス・キリストが最後の晩餐を弟子たちと共に行われた食卓を象徴しています。この聖餐式を通して、キリストの犠牲を記念し、信者たちは霊的な糧を分かち合うのです。
②について、祭壇は、神と信者が最も身近に感じられる場所です。信者たちは祭壇の前で祈り、聖書を読み、賛美歌を歌い、神との交わりの時を深めていきます。
③について、祭壇は、教会の中心であり、信者たちを一つに結びつける役割を果たします。様々な儀式や行事の中心として、教会の信仰生活を支えています。
では、推し方における祭壇とキリスト教における祭壇の共通点はどこでしょうか?
私は②の「神との出会い」が推し活における祭壇に近い、似ているのではないかと考えています。
推し活で祭壇を作る理由はなんでしょうか?
その一つに、もっと近くで推しを推したい、祝いたいという理由があると思います。
イエス様、推しとの関わりを深めることを信者やヲタクは望んでいるという共通点から、祭壇という言葉、用語がどちらの界隈でも使われているのではないでしょうか。
最後に
今回のnoteは以上となります。この投稿は、私の二回目の投稿であるため、所々不慣れな点があったかと思いますが、少しでも面白いと思って下されば幸いです!
現在の注目されている日本を代表する文化、ヲタク文化。その一つである推し活は、長く人々の生活に関わってきたキリスト教と共通点があった。
人は何を求めて推し活をするのか、何を求めて信仰するのか。
推しや神に求めるもの、幸福、この共通点から様々な人の心理の疑問や、推しとキリスト教と社会の在り方が「キリスト教の信仰と推し活の共通点」という考え方を通して、見えてきます。
このnoteをきっかけに、読者の皆さんも、キリスト教の信仰と推し活の共通点をぜひ探してみてくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。