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「放火はしていない」ある死刑囚の訴え!

ある拘置所に、なんと57年もの収容期間の死刑囚が…

新聞記事に寄りますと、2013年、第7次再審請求を申し立て中の死刑囚、尾田信夫氏は20歳の時に強盗殺人、放火事件の主犯として逮捕されたとあります。

以来、身柄拘束は57年に及び、死刑が確定してからでも53年になると書かれています。私はこの記事に驚愕しました。

57年前とは1967年であり、それから今日まで半世紀を優に超えています。その間、死刑執行がいつ行われるのかとの恐怖と闘いながら、尾田さんは一日一日を生き長らえて来たのでしょう。

最高裁で刑が確定してからの長い53年の間、再審請求という狭き門を一筋の光明として、生きるその気持ちとはいかなるものなのでしょうか。私のような凡人などにはとても想像もつきません。

尾田さんは、強盗傷害の罪は認めているようですが、「放火」については認めておられせん。それに新聞紙面では「殺人」と「障害」の罪の違いや、結果として被害者が亡くなられたこと、その際の動機や殺意の有り無しなどは書かれていません。

ですから尾田さんは、少なくとも「放火はしていない」という一点での再審請求をされているのでしょうか? 罪状の一部否認となるこのことは、実は「死刑判決」の妥当性にも影響する重大事なのです。

この事件は、第5次の再審請求後に日弁連の支援事件になっているということです。

事件当時の時代状況とは?


これは1967年の事件でありますが、同じ60年代の他の話題の事件を拾ってみますと、冤罪事件が多いようです。

1963年、吉展ちゃん誘拐殺人事件は警察が捜査で失敗したことの影響があって、被害の子供は命を落としてしまいました。これは、当時世の中をとてつもなく震撼させた事件として有名です。

その事件が影響してか?同じ年に起こった狭山女子高校生誘拐殺人事件では、警察はさらに失態を繰り返すことになりました。冤罪のでっち上げにつながったという話はもっぱらです。

つまり、警察は吉展ちゃん事件での失態の汚名返上のために、焦って無理やり無実の容疑者を仕立て上げたということのようです。

恐ろしいことには、この事件も最高裁まで無実とはならず、無期懲役の判決に留まり、その後、当然ながら再審請求の継続中という事態が続いています。
 
狭山事件 1963年事件 第3次再審請求中
袴田事件 1966年(冤罪)

このように、本来は関係のない別々の事件でありながらも、当時の捜査のズサンさや国選弁護士のいい加減さには驚かされます。当時の警察組織のいい加減さでしょうか。

私には、警察組織だけの問題だけでなく政治の貧困さもあるように思います。それは、今日も続いています。

再審請求は狭き門


さて本題のタイトルのこの事件でも、「放火はしていない」との再審請求なのですから、そこは検証が必要だと思います。

司法の判断は「ストーブを蹴り倒したことによる放火である」と規定しているようですが、実際にはそのストーブを蹴り倒すと自動的に鎮火する仕組みになっているとの検証が成されていて、判決の根拠となる「放火」の部分は不合理なままとなっています。断じて科学的検証をやり直すべきであろうと考えます。

なのに、再審請求が第7次に及んでいるのですから、「再審」がいかに狭き門なのかが伺われます。

この国の「三審制」の仕組みが、本当に国民の為に正しく機能しているのか見守るべき点です。司法の独立と言われながらも行政権力の影響を強く受けている実態や、国政選挙の時に、ついでのようにして行われる「国民審査」の手続きがあまりにも形骸化しすぎていて、投票者のだれもが度の裁判官に〇をつけるべきか、どの裁判官に✖を付けるべきかの判断がつきかねるのです。

これは、明らかに制度の杜撰さに他なりません。その中にあって、尾田さんの「放火はしていない」との魂の叫びは、私の胸をえぐるような衝撃を禁じ得ません。

結論に代えて


市民が平穏に生活できるためには、世の中の秩序は保たれなければなりません。そのための犯罪への対応やその罪の重さに見合うだけの刑罰は必要です。

それだけに、細心の注意を払う慎重な審議と、権力の恣意性を排除したたところで、罪にちょうど見合う刑罰を導き出して欲しいものです。

あとは、拘置所や刑務所内での受刑者に対する処遇が近代的で合理的なものであることを望んで止みません。



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