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母¦統合失調症発症~ヤングケアラーになったわたくし

こんにちは( *・ω・)ノちくりんです✨️

早速ですが、私の母が統合失調症を発症し
完治するまでの葛藤、戦いを書いていきたいと思います。

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ある日突然、母親から目を離せない状態になり
高校へ行けなくなったわたくし。

受験や進学はどうしたのか?

統合失調症への周りの理解が得られない環境の辛さ等、誰かの役に立てば嬉しく思います。

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1.母、突然発症する

私が、高校2年生になった春のある日。
学校から帰宅すると、
母が、「大変なの!!あそこにかまいたちがいるから、下がっていて!!」と
フライパンを振り回して暴れていた母。

「なにいってんの?かまいたちって何?!」
(なんかの茶番かと思いました💦笑)

母「あそこにね、鎌をもったやつがいて、追い払わないといけない!!」
と言って家の外へ出ていってしまった。

 追いかける私。
フライパンをお玉で叩きながら、
「かまいたちよー!!出ていけーーーーー!!!!」と全力で叫ぶ母。

明らかに、様子がおかしい。
「かまいたちなんかいないんだよ!!」と取り押さえる私。近所迷惑になるから辞めてと。

幸い、父は自営業で近くで働いていた為、
大変な事になってると伝え駆けつけてもらい、
母は、父にもかまいたちの話をし始める。

私と父は、かまいたちなんかいないんだよ!!どうしちゃったんだよ!!
と説得するが、母の問題行動は収まらず、
父とどうするか話し合う。

とりあえず、次の日は父が母をみることになり
私は心配しながらも学校に行った。

 
2.暴れて病院につれていけない

母が心配で、小走りで下校。
家に着くと母と父がお札がばらまかれた畳の上で
取っ組み合いをしていた。

何が起きているのか理解ができない。


どうやら、母は父の目を盗んで
銀行に預けているお金を引き出しに行き、
お金をばらまきながら歩いてきてしまったらしい。

かまいたちよこれで
勘弁してくださいと。
(今考えると笑い話。本人は本気です。)
 
これには父も
「今日で家族解散だ。」と泣きながら取っ組み合いしている状態で、私は冷静にばらまかれた万札を拾い集めていた。

 
私は急いで
ある日突然、幻覚がみえる
等のワードでググッた。

統合失調症がヒットし、
父にこれは、統合失調症だと説得し
病院に連れていこうと伝えた。

父は母を取り押さえ、私は病院を探す。
 
急いでいたので、近くの精神科を探し
連れていくことにしたのですが、
暴れて車に乗ってくれない😭

数日間、私は不登校となり母が問題行動をしないか見守った。
父の仕事終わりに母を車に乗せようと試みる、
失敗するを繰り返し、車に乗らないなら、離婚すると言い、むりやり車に押し込んで病院へ取っ組み合いをしながら連れていくことに成功した。

3.治らない薬
 

医師に薬を処方して頂き、薬を無理やり飲ませました。問題行動が困ると伝えたせいか、薬を飲んだ後、今度はほぼ寝たきり、起きている時も、ずっと鼻水を垂らしながら、笑って頷くだけの母になってしまいました。

話しかけても、うんうんと頷くだけ
ずっと寝ているだけ、起きる時はごはんとタバコを吸う時だけ。

半年間この状態が続き、父と、母はどうなってしまってるんだと、話し合いました。まるで、頷くだけの人形みたいな人間になってしまったと。
薬が効きすぎているから、軽い薬に変えられないか
医師に相談したところ、薬は変えられないと言われました。


4.セカンドオピニオン

家から近くなくても良いので、とにかくクチコミが良い病院を探しました。
家から1駅先にある、病院がとてもクチコミがよく
一度、連れていくことにしました。

ほぼ寝たきり状態の母。
家事をいきなりやらなくてはいけなくなった私。

洗濯、掃除、炊事、母の看病、勉強
受験もどうしようかと。成績は4.8だったので、母親のせいで成績が落ちるのは自分でも許せなかった。

5.あの医者はなんだったのか

セカンドオピニオンに連れていき、
診察、今飲んでいる薬のお薬手帳もみせたら
すぐに先生は、薬を変えましょうと。
変えたら徐々に、治ると言ってくださり、
3ヶ月毎週通院し、その後通院回数も減っていき
少しずつ、母と普通のコミュニケーションがとれるようになってきました。

最初の医師は薬の処方を続けて治す気はなかったのだろうか、、、。

6.不登校の癖がついてしまった

最初は、母から目を離せなかった為
学校に行けなかったのですが、学校に行っても進学校にもかかわらず授業妨害、学校に行くこと自体がくだらないと思うようになってしまいました。
勉強なら家で出来ると。

学校とは、勉強以外で学ぶ事があるから行くのではないかと。家事もこなし、通学もしていた私は、いつの間にか周りが幼く感じて周りと馴染めなくなっていた。

7.不登校で諦めた推薦

もともと、成績が4.8あった為、不登校でも卒業まで成績を維持したかった私。
ヤングケアラーとして親を見つつも、仲の良い理解者の友達にそろそろ小テストあるよ、中間テストだよ、レポートあるよ等情報、ノートも写させて頂き、テストの点数は維持、体育の授業の日は休まない等、高校卒業まで成績は4.8を維持しました。

進学校の為、指定校推薦があり、
成績が4.8以上の生徒しか推薦をもらえない大学を志願しました。

が、担任の先生に呼び出され
悪いけど、ちくさんと同じ4.8成績の子が
同じ大学を希望していて、

どちらも、良い生徒なんだけど、
出席日数だけしか、比べられなくて
諦めて欲しい。

と言われました。

そう。私は担任の先生に
親が、幻覚がみえる精神病になったと
不登校の原因をずっと先生に言えなかった。

ある日いきなり、
かまいたちと戦いはじめた母を理解してくれるのか、
幻覚がみえる状態の人を軽蔑しないか
恥ずかしさもあった。

自分は、学業も家事も
とても努力してきたと思う。

涙が止まらなかった。

8.余った推薦枠

せっかく高校3年間成績を4.8で維持してきたのにも関わらず、出席日数で推薦に落ちてしまい、
ランクを下げて誰も希望しない競争者が少なそうなところで再挑戦した。

東洋大学の夜間学部 
どうやら夕方6時~夜9時までの通学らしい。
私立のお嬢様、おぼっちゃま達は
夜間学部なんて行かないだろう。

夜間学部なら、仕事終わった父親と交代で母を見てあげられると思い丁度良いと思った私。母はほぼ完治してはいたが、また何かあったらと、心配していた私にはちょうどよかった。

案の定、推薦が通った。
先生からは、休まず通えるのか?
誓約書を書け等言われましたが、
それでも母の病気のことはいえませんでした。

9.夜間学部での出会い
 

私は4年間夜間大学へ通い経営について学ばせて頂きました。
私立の進学高校からは、別世界でした。

なぜなら、周りの同級生達は毎日朝~夕方まで
自分で学費をアルバイトして稼いでいたからです。
私立高校の子達は、もちろん学費は全額親が出すのは当たり前。というご家庭の子たちです。

自分も父に、学費は出してもらっていたのですが、
誰も夜間の友達は遊んでくれず、
自分も朝6時~コンビニで働きはじめ、友達と同じようなアルバイト生活をするようになりました。

70代の女性が大学に通学していたり
社会人が仕事終わりに大学に学びに来ており
夜間学部は、そんな学ぶ意識の高い大人達もいて
昼間の学生達とは違う、落ち着いた雰囲気で
いつまでも、学ぶ意識、社会人でも大学に通うバイタリティがある人との出会い等
母が統合失調症にならなければ
知らない世界でした。

歳をとっても、社会人になっても
大学生になれるのかと。

社会人になった今、私もずっと学び続けること
夜間学部で出会った社会人、おばあちゃん大学生のようにバイタリティを持ち続けたいという目標ができました。

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ここまでご覧頂きありがとうございます🙇‍♀️
勢いで書いております為、
読み返してまた訂正、編集させて頂くと思います。

また、色々書かせて頂きます(。・ω・)ノ゙

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