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上手に生きられる人になりたかった|人生何回目?|不妊治療
※すべて個人的な見解で、造語を含んだ内容です。
1年程前の話だが、テレビ朝日の弘中アナウンサーが出産したというネットニュースを目にした。そのコメント欄で、弘中アナを「生きるのが上手だ」と表現している人がいて、すごく的を得ているなと個人的に感じており、今でも強く印象に残っている。
テレビだけでなく、SNSでもよく目にするHKPC(ハイスペック・キラキラ・パワー・カップル)。華やかな経歴を辿って来た彼らは頭が良く、決まって容姿端麗である。
カップル(夫婦)ともに責任ある仕事に打ち込み成果を挙げているが、決してそれが鼻につくことはなく、きっと温かい家庭で愛されて育ったのだろうと思わせる育ちの良さがにじみ出ている。附属幼稚園・小学校・中学校受験を経験している者も少なくない。それでいてノリが良く、仕事や飲み会で徹夜できるほど身体が丈夫。声がかかると顔を出すフットワークの軽さや、華麗なる人脈には驚かされる。
30歳を過ぎた頃、たくさんの友人や同僚を招いた豪華な結婚式を挙げ、ほどなくして妊娠・出産。ハードワークをこなし、高齢出産と言われる年齢に差し掛かりながらもあっさりと妊娠・出産できてしまう健康な身体をも持ち合わせている。
その後職場復帰を果たし、キャリアを築きながら仕事と育児を両立。続けて第二子、第三子を出産。子どもの行事や成長のたびに更新されるSNS。もちろん生まれてきた子どもたちは可愛くてスタイルも良く、恵まれた容姿だ。
円安だろうが、毎年家族で海外旅行に行けるくらいの稼ぎもある。
あの人もこの人も、あまりにも上手に生き過ぎではないか?
少なくとも人生1周目ではないですよね??
「SNSで全世界に発信しているキラキラした場面はほんの一部でしかなくて、実際は仕事に家事に育児にてんやわんや!」であることは分かっているが、HKPCたちは育児でさえ要領良く、器用にこなしている可能性すらある。そんな風に想像すると、尊敬の念を通り越して、もはや恐ろしく感じてしまう。
HKPCから生まれた子は当然HKPCで、その子孫も然り。
神様、「天は二物を与えず」どころか、三物も四物も与え過ぎではありませんか?
一方、ごく平凡な家庭に生まれ、初めて経験した受験は地元の公立高校入試、そして無難な大学を卒業した私。現在はOLをしている。私の仕事は社会のためになっているのだろうかと考えると虚無感に襲われるので、あまり考えないようにしている。数年前に結婚したが、なかなか子どもに恵まれず足踏み状態。どうしても隣の芝生が綺麗な青色に見えてしまう。
HKPCになりたいわけではない。
大きな仕事をするのは充実感があり楽しいかもしれないが、私はバリバリと夜遅くまで仕事をこなして華やかな実績を築き、刺激的な世界に身を置くよりも、生きていけるくらいのお給料を貰いながら定時で帰宅して平穏な暮らしがしたいタイプ。
新しく買ったコーヒー豆が美味しかったとか、近所に良さげなパン屋さんを見つけたとか、暖かい季節になって公園のチューリップが咲いたとか、そんな些細なことに幸せを感じるし、ほっとする。
お互い稼ぎは少ないけれど、夫と外食したり、たまに旅行に行けるのがささやかな楽しみだ。自由気ままな2人暮らし。
けれどSNSやネットニュースでHKPCを見た時に少し複雑な気持ちになるのは、やはり子どもの存在が大きいだろう。
天に何物も与えられた人たちがあっさりと子どもを授かってしまうこと、そして着実にキャリアを築きながら育児との両立を果たしていることに憧れを禁じ得ないのだ。
ただただ子どもが欲しいだけ。
あらゆる検査をしても問題はないのに、妊娠できないのはどうしてだろう。
4回目の人工授精が陰性に終わった今、自然妊娠はやはり不可能だったという現実を目の当たりにしている。
保険適用になったとは言え、これから始まる体外受精に向けて精神面・経済面であらゆる不安がつきまとう。
上手に生きられる人になりたかった、苦労せずに子どもを授かりたかったと考えてしまうことが、時々ある。
私の好きなドラマに、こんなセリフがある。
人は4回生まれ変わる。
1度目は種をまく人生。
2度目は種に水をやる人生。
3度目は収穫する人生。
4度目は収穫物を食べる人生。
あまりにも上手に生きている人たちは既に4回目の人生かもしれないし、自分はまだ1回目かもしれない。
それなら仕方ないかと納得すると同時に、あと3回も生まれ変われるチャンスがあると思うと、少しだけ未来に希望を持てる気がする。
それは現世を諦めたわけではなく、冴えない人生だろうが、開き直って1回目なりに楽しく生きてやろうと思えるのだ。