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SWIFT STUDIES 3: 「巧妙なポップス」と困難

グラミー2025では、テイラー・スイフトは無冠という結果でした。

今回のグラミーにおけるノミネート作品は、
『the tortured poets department』略称TTPD
というアルバムと、
その中に収録されている
『Fortnight』という楽曲です。

ファンたち(Swifties)のリアクションは、
「立派にプレゼンターを務めた」
「TTPDはSwiftiesにしか理解できない」
といった趣旨が目立ちます。

テイラー・スイフトはなぜ無冠だったのか?

について解説します。

まずは声を大にして言わせてください🫵

「テイラーの音楽、難しすぎるっっ!!」

はい。というわけで、僕の感想を叫びました。

テイラー・スイフトによるTTPDは、個人の個人による解釈が無限にできます。
というよりも、ファンたちはそれを求めています。

そして、共感というつながりは、
Swiftiesによる独特な共同体を形成しています。

テイラー・スイフトに対する「共感レール」に乗れないのであれば、その共同体に関わる余地はありません。

これは、マズいです。かなりマズいです。

なぜかというと、共同体に関われない人たちは
その現状にどんな気持ちを抱くでしょうか?

反発の気持ちを抱くようになります。

TTPDは、歌詞とサウンド共に芸術性が高いです。
文化としての受容格差が大きいです。

アメリカ音楽文化の歴史上、これまで同じような状況が存在していました。
それは、レコード盤が発明され、10年という期間で音楽領域に新技術がもたらされる以前の時代です。

現代のアメリカ研究では、
それはシート・ミュージックと呼ばれる文化領域として考えられています。

つまり、音楽が文化として社会に存在する枠組みが、楽曲の譜面のみであったということです。

譜面は、読み方を知らないと読めません。

僕は読めません。
ドレミファソラシドすら分かりません。
(そんな知識で音楽がどうこう言うなという意見は受け付けませんよ?好き放題言わせてください🙃)

譜面音楽(シート・ミュージック)は知識が前提の文化領域なので、文化受容の格差が生まれます。

つまり、譜面をもとに音楽を奏でることができる人も限られるので、街中に正統な音楽が流れる環境はなかったのです。

当時の労働者階級たちが、つまりアメリカ北部を中心に工業が盛んだった時代において、働く人々にとって、そのような音楽エリートは敵になり得たのです。

テイラー・スイフトの現在は、それと似たような状況が観察できます。

現に、今のアメリカ(先進国に共通しても言えますが)ではエリート嫌いの風潮がよく観察できます。

テイラー・スイフトの楽曲は、現代アメリカの政治的にも逆風を浴びています。

今回のグラミーが無冠だったのは、
「巧妙なポップス」のチャート成績は評価されているものの、社会性と一致しなかったものだと思われます。

つまり、Swiftiesによる共同体の独特な現在地と、
その排外性が評価されなかったのです。

当然だと思います。
アメリカ音楽の歴史を評価するために必要な共通する軸は、
「大衆性」だとおもいます。

1950年代から60年代にかけて、
社会を発狂させたロック・ミュージックは、

70年代以降の不況の煽りをうけた若者の
対抗文化(カウンター・カルチャー)に支配され、
サブ・カルチャーへと変貌し、
社会性が失われたことから、大衆音楽として認知されなくなりました。

テイラー・スイフトの今後は、そんな未来がチラついているような気がしてます。

ただ、テイラー・スイフトの困難が表出したのは
『Midnights』(2022)以降だと思うので、
現時点で決めつけるのは、ためらいがあります。
テイラー・スイフトはまだ生きてるので。

テイラー・スイフトのAnthologyは、
神格化する状況は好ましくありません。

何か新しい、音楽文化の最高到達点として、
「あ、これなんかめっちゃええ感じやん!」
と言える音楽をまた聴いてみたい!






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