【読書ログ】冒険の書 AI時代のアンラーニング(3回目_第4章)@CRファクトリー11期読書会
要約
マルセルデュシャン、荘子
なぞかけです。なぞかけっておもしろいよね。うちの子も松丸君好きだし。親鸞
よくわかんないなって思ってた。後半の記述から
楽しむ姿勢が大事っていうの共感する。すごく共感する。
周囲からの評価を気にしている自分と言うのに向き合わされた。筆者の言葉を借りると、メリトクラシーの価値観で生きてきてしまったような感覚がある。
新たな問いを立てるっていうところには至らないけど、現状の自分に気がついたことによって、他者からの評価を気にしない自分にありたいっていう願いを実現しようって言う気持ちになりました
第3章から思ったこと
マルセルデュシャン
P 219捨てることで、新たな思考が生まれる
→私は、社内での学習会の部活を通して教えることで、自分の不利になる(もう教えることがなくなっちゃう)のではないかという恐れを抱いたことがあって、かつてその恐れを手放したことがあったな、と思い出す。自分にはアンラーンの経験があったと自信をもつ。p219 使えるとか、便利といった価値にしか意味を見出せない
→話の流れを忘れたけど、つい最近子供たちと「無駄は面白い」と言う対話をしたことをふと思い出す。あと、「リーダーシップに出会う瞬間」という別の読書会で読んでいた本で、やはり「使えない」と上司に言われていた社員を持ったとして、「正解だとしたら、どうか」という考え方を提示されていたな、ということを思い出す。本当に無駄なんてものは、きっとないのだと信じたい気持ちにさせる。少なくとも自分は、自分の周りの全てのものに、意味や意義を見出すまなざしを持ちたいものだ。P.220 壊して捨てるという破壊的な姿勢の後の創造
→私、嫌になってしまうと、何でもかんでも投げ出してもうなかったことにしちゃいたい。という破壊的な衝動を襲われることがすごくある。
会社やめようとか。離婚したいとか。
あまり良いことじゃないな、そんな自分は好きじゃないと思っていたけど、悪いことばかりでもないのかもしれない。
荘子
P. 226仕組みの中に、無駄や余白を積極的に残しておいた方が良い。
→同意するけど、私にとって無駄を埋め込むと言うことの意味はまだ答えが出ていない。直感的にそのほうがいいなとは思ってる。作者は常識の枠を外すためにリフレーミングができるようにするために余白があった方が良いと言っているけど。p.228情報の受け手側がリフレームする余地、あそび
→良い議論の場では、1つのテーマについて複数人で話し合って対話をしているようで、実態はお互いの壁打ちになっているということが結構ある気がする。そしてそういう話っていうのは総意的な結論が出ないんだけど、それぞれの中で深い納得感であるとか何か必要なものを得て満足して終了できているように思う。みんな1つのようでいてそれぞれの余白の中で遊んでいるというかちょっと不思議な感覚。
CRファクトリーの講義の中でワークショップで対話している時も少し似たような感覚があったように思う。お互いに問いを投げかけ合い、学び合って、結論は自分の中に。みたいな。
親鸞
理解に1番苦しんだ。
コンセプトを作って人を動かしたと言うところは、すごく興味を惹かれた何もでけしまへんのや
→諦観の念。そうなのかもしれない。
人間の本質は、うぬぼれ独りよがり独善。悪事をしない事は、自分の努力の結果であると思ってしまっている。善行も悪行も、ただなるべくしてそうなったどういだけで。
→そうなのかもしれない
論理的思考である還元主義から脱し、良い問を立て探求して深めよう
p. 243確信をつく良い問いを立てること。
→狙うと外すけど、何の気のない一言が相手にぶっ刺さったりすることがありません?人によって響くものってちょっと違うから、「自分にとっての核心を突いた良い問」を練ることが大切なのかな。p. 247 論理的思考による、「問→行動」のループ
→私の場合は、「知る→行動→困る→知る…」っていうループが多い
何にせよ、まずやってみるっていうのがまず飛び込んでみるっていうのが大事という点は共感。ただ、すぐ行動につなげようとするあまり、「知る」にタイムパフォーマンスを求めてしまっているようにも感じる。今まで出てきているように、時間かけてじっくり取り組み掘り下げていく方が探求に繋がりそうだ。情報の流れが速すぎる。追い付かないといけないのもだけど、大切なことは見極めて時間をかけて取り組むよう見極めをしない。
「専門家」とはなにか。専門家を信頼しきって自分で考えることを放棄していませんか?
p . 261よくわかっていない人ほど課題評価しわかっている人は過小評価する傾向がある。ダイニンググルーガン効果
→耳が痛い。自分にもそんな一面があるんじゃないか。p. 262 わかっていることと、わかっていないことをはっきりさせること
→自分を振り返ると、わかっていないことに目を向けていなかったかもしれない。どうしたらわかっていないことに目を向けられるだろうか。自分の中に、まだ他者から評価されることの重要性っていう価値観が、抜ききっていないような気がする
それと並行して、今まで自分に対して散々評価をしてきた人たちに対して復讐したいって言うような気持ちも何かどっかにあるような気がする。自分のこれからの人生の指標として、「人からの評価を恐れない」を掲げていきたいと思った。
復讐の気持ちがなくなって、別に私のことを評価したっていいよって言う気持ちの、そういう自分でいたいな。評価したい人は勝手にすればいいし、あなたがどう評価しようが私は気にしないわ。そういう状態でいたいなぁと思いました。
でも、好きな事はやれているなって思う
「進化思考」という本を流し読みしていて、そこで触れている内容と少し通じるところがあったように感じる。
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