【読書ログ】「わかりあえない」を超える(2回目_第2章)@CRファクトリー11期読書会
3つの読書会に、平行して参加しています。CRファクトリー主催の「コミュニティマネジメント塾」の研修にて出会った第11期の仲間と読書会を立ち上げていただき、つながりを継続しています。主宰はてっちゃん(ありがとう‼)。その読書会の選書本です。その時つけていた感想の走り書き。
自分に感想を問うたところ、真っ先に出てきた言葉がこれ。
子供同士がけんかして、弟は謝ったのに、兄は「もっと真剣に!じゃないと許せない!」とメソメソしていたのを思い出す。
あらあら厳しいわね、と思っていたけれど、そう、兄にあの時必要だったのは嘆きと共感だったのかもしれない。
過去にハラスメントを受けた相手から接触があり、「私の主宰する勉強会に参加したい」と言われた時、面食らったし動揺したけれど、自分の理想のコミュニティの在り方のために一回受け入れた。
そして彼は、何事もなかったかのようにへっちゃら顔で運営に加わろうと画策されてきた。
あの時、謝罪されなくて良かったな、と思う。
もはや私の中で、許す/許さないという話題ではなくて。別に許したくないし、許さない自分でもいたくない。
本当に謝罪されなくて良かった。
結局、この件を知ったマネージャー陣から本人へ怒りの直接指導が入り、私への接近及び勉強会への参加禁止を言い渡され。今後は接触せずに済むことになったのだけれど、私の気持ちは落ち込んだままで。
というエピソードトークを読書会の面々相手に話して、「ああそうか、この気持ち。やっとわかった。挫折だ。」と言語化されたのでした。
何が挫折かというと、私は心の底では、分かり合えない人はいないと思っていて。心の奥底を開いた対話をすることができれば、きっとどんな人であっても分かり合えると。そう信じている気持ちが根底にあった。
それが通じない相手で、そしてその相手との関係構築をついに諦めたという点が、私の「深い挫折体験」になった。だから、こんな落ち着かない気持ちで、まだ終わりを見いだせずに、挫折感を抱えたさまよえる亡霊のようになってしまっているのではないかと。そんな風に今は自分を見つめている。
気になった部分を羅列
4章 内なる変化をもたらす
NVCがもたらす変化、1自分自身の内面、2.自分の価値観とは入れない行動をしている相手、3.自分が生きている社会構造。
自分の行動によって満たされていないニーズがあると気づくことを私は嘆きと呼んでいます
子供に怒鳴ってしまった母親の例
まず自分のニーズに気づくこと、そして、満たすためにどのような言動をとっていたかに意識を向ける。
NVCの手法で、これを実現する。
5章 自分の「過ち」への自己共感
最初のステップは自尊心を失わずに、自分の過ちから学ぶ方法を知ること
過去の失敗事例を具体的に思い浮かべて、より良い手段をシュミレートすることでトレーニングすることが可能。このトレーニングを重ねることによって、自尊心を失わずに、自分の至らなさから学ぶことができるようになるだろう。
筆者によれば、自分に自分自身に共感できなければ、他人に共感する事は非常に難しい
平和は自分の内側から始まります
過去の傷を癒すー嘆きと謝罪の違い
「嘆き」が人を癒す。そうか~…。確かにね、謝罪されると許す/許さないを自分に迫られるんだもんね。確かに暴力的かも
「絶対に分かり合えない人っているよね」という夫の論。本に出てくる人は確かに、元々は能力があり、善人だけど環境等に恵まれなかった、という人なのかも。環境に恵まれても性悪な人は対話しても変われないのかも…そうなのかも、という気持ちに。でも諦めたくないなあ
p144誰かになにかをやめさせようとした途端、私達は力を失う、自分の行動を変えようとしていると感じると変化しづらくなる
相手を変えることに頑なにならない
p158虚ろな善人をつくる。内面の中で真にいきづいているものを断たせようとするギャング。「虚ろな善人」ってなんかすごい言葉だね。
様々なショッキングエピソードがあったけれど、強烈に頭に残っているエピソードは、友人を殺された上に自分自身もレイプ被害に遭った女性の話と、ゲットーギャングのリーダーのエピソードです。
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