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#2 骨格から想像する人の顔、人の顔から想像する骨格


らくがきモチーフをさがす

復顔アーティストkennis兄弟

 Netflixで最近公開されたドキュメンタリー『ネアンデルタール人の秘密』を観た。シャニダール洞窟でのH.neanderthalensis発掘のドキュメンタリー。(H.neanderthalensisはいずれ描くので、その話は後日) 

 H.neanderthalensisの発掘と研究と共に、骨格から顔を復元していく(複顔という)様子が収録されている。復元を担当しているkennis兄弟は、古代人類の復元を多くてがけていて、世界中の博物館に作品が展示されている。ナショジオ関連の書籍などでもよく見られる。
 彼らの再現はとても自然な表情で、知性を感じ、豊かな暮らしぶりを想像させる。それは“原始人”みたいな不特定多数(しかも200万年違い時間を生きた多種多様な絶滅種や人類亜種)をざっくりと指し示す乱暴なイメージではなく、“個”が再現されている。個人の人生を感じられるというか。
 人類は特に個体差が激しい生物種であるし、個々の個性も多様だったはず。

 kennisさんがドキュメンタリーの中で“全然勉強しなかったけど、教科書のネアンデルタール人の挿絵にときめいた”って話はめっちゃ共感した。石器時代とか、ものの1ページ程度で終わってしまうのは悲しい。一番ワクワクするところなのに。

骨格を学ぶ

 美大受験を経験された人にはあるあるだと思いますが、石膏像という真っ白い像を黒い鉛筆で描くという課題があります。光を感じて捉えるのが大事。
 石膏デッサンをするにあたっては、光の他に骨格を意識することも大事です。真っ白で同じ素材でできた像ではありますが、人をかたどった像ですから、身体の動きなんかは知っていないとつじつまが合わなくなるんです。
 例えばヘルメスという胸像がありますが、本来は全身像で、ヘルメスの子供のひとりデュオニューソスを抱きかかえ、葡萄をあげるポーズをしています。

ヘルメス プラクシテレス作『幼いディオニューソスを抱くヘルメス』をトリミングしたもの。オリジナルはオリンピア考古学博物館所蔵。

 そのため肩で途切れているとはいえ、右腕は上、左腕は下、やや後方へ引く形。目線の先も対象があることがわかります。
 途切れているその先の腕などがどっちを向いて、どう捻れるかで、見えている肩の中にある関節の形や筋肉の収縮は変わり、同じ白い石膏の質感でも、各所緊張感は違うんです。(それはもちろん元になっている像などがとてもよくできているということです。ブルータスやジョルジョなどメジャーな石膏像のオリジナルのいくつかは大英博物館にあるので、機会があればマジマジと見てほしい)
 人の骨格や筋肉の勉強は石膏デッサンとセットになるわけです。

 そんなこんなで、受験から始まった人体の構造に関しての学習は脈々と残っていて、絵を描くには必ず意識しなければならないポイントです。
 未だに博物館で頭骨が並んでいたりすると頭の中で再現してしまったり、逆に特徴的な骨格の方にお会いすると、骨格をスキャンしてしまうのです。

絵に宿る説得力

 先日、国立科学博物館常設の中の“ほんの少し前の祖先”展示の中で江戸時代の頃の頭蓋骨がありました。
 四角い頭をしていて、これが歌川国芳の通称“がしゃどくろ”の髑髏にそっくり。あの絵は本当にあの時代の骨なんだ!と実感しました。

歌川国芳「相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に是を亡ぼす」

 ダ・ヴィンチもずいぶん私的に解剖してたらしいですが、国芳も負けじと生頭蓋骨をしっかりと観察していただろうと思いました。いや、なんならいくつか所有していたんじゃなかろうか。それこそ人類は個体差が激しい生物種ですから、一つやふたつでは平均化できないはず。
 当時はレプリカなんてものはないし、流石に近親者ではないだろうけど、出所はわかりそう…顔の見える本物の頭蓋骨はさすがにぞっとする…。

 ディフォルメされていても、しっかりとした根拠の上に辿られた線にはやはり説得力が宿る物だと思う。

今回のらくがき

骨格から想像する顔

 やっぱり骨格から想像するのって楽しい。
こうして描きたいものがなんとなくみつかり、僕のらくがきがはじまりました。

A.afarensis1 木炭と鉛筆

 チンパンジーやゴリラのように鼻が正面を向いていたらこんな感じ?チンパンジーなんかは真っ黒い眼をしてるけど、アウストラロピテクスの眼球はどうだったんだろう。意外と平たい顔かも。顎がしっかりしているところを見ると、繊維質な植物をたくさん噛んだのかな。

Australopithecus afarensis

約390万 - 約290万年前に生きていたとされる人類絶滅種。タンザニア北部ラエトリで、370万年前の成人2人と若年ひとりの二足歩行を示す、歩行跡(生痕化石)が見つかっている。有名なルーシーを含むその他の大部分はエチオピア北東のハダール村で発見されている。他にもエチオピアやケニアでも発見例がある。

wiki
A.afarensis2 “Lucy” 木炭と鉛筆
kennis兄弟の復顔を元に

 Lucyと名のついた個体は全身の40%が発見されている、非常に珍しいケース。これによって骨格的にも二足歩行であったとの見解。
 A.afarensisに関しては一旦ここまで。次に国立科学博物館にでも行ったときに、頭骨をスケッチしたい。

最後にアクア説を考える

立ち泳ぎ?

 前回少し取り上げたアクア説。“水に適応”→“二足歩行”であるならば、二足歩行していた確かな証拠があるA.afarensisよりずっと前に適応していたことになる。
 そもそもA.afarensisが現生人類に繋がるかはまだ定かではないので、近縁種の多くが二足歩行になったのには複数の理由があって、それぞれが似たような適応をしつつ、環境の微妙な差異によって微妙に生態が違っていたかもしれない。
 二足歩行になった理由として挙げられる説はいくつかあるものの、僕はどれもあまりピンとこず…いまのところ立ち泳ぎが一番しっくりきている。

淡水湖や湿地、水辺での生活

 リチャード・ランガム著「火の賜物ーヒトは料理で進化したー」の中でランガムは、アウストラロピテクスとチンパンジーの食の違いは、乾季に何を食べていたかにあるという。チンパンジーは、乾季の果物などが乏しい時期、栄養価の高い食物をあまり手に入れることができなかった。
 アウストラロピテクスは、乾季には湿地などで澱粉質の高い根茎の類を食べていたと書いていた。森だけでは手に入れにくい栄養価の高い食物は湿地に多くあったであろうと思う。根茎に限らず、ある程度泳げたアウストラロピテクスが動きの遅い水棲生物を捕らえるくらいできたかもしれない。
 Lucyに二足歩行していた証拠がある!といっても、単に股関節の可動域が広がっただけかもしれないし。ティラノサウルスだって初めはゴジラ型だったんだから。

A.afarensisに関連する世界遺産

「アワッシュ川下流域」

エチオピアの世界遺産 1980年登録
エチオピア北東部にあるハダール村付近の一帯
Lucyを含む40人分の化石人骨の破片計316個が見つかっている。

Wiki

「オモ川下流域」

エチオピアの世界遺産 1980年登録
エチオピア南西部。アウストラロピテクス・エチオピクスアウストラロピテクス・アファレンシスアウストラロピテクス・アフリカヌスアウストラロピテクス・ロブストゥスアウストラロピテクス・ボイセイホモ・ハビリスホモ・エレクトゥスホモ・サピエンスなど、現生人類に直結するものだけでなく、枝分かれして絶滅したものも含め、様々な時代の様々な化石人骨が多数出土し、古人類学の研究上極めて重要な一帯

Wiki

大地溝帯

どちらも“大地溝帯”と言われるアフリカ大陸の西側を南北に縦断する大きな渓谷の周辺にある。

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