文劇3を見て、服を買ったオタクの日記
「舞台 文豪とアルケミスト」の第3弾「綴リ人ノ輪唱」を劇場に見に行ってそして服を買った、という日記を付ける。
特務司書やっているけれども私自身はただのソシャカス気味のオタクなので、文豪の知識も文学の知識もさっっっぱりない。読んだことある文学なんてせいぜい教科書に載っている範囲。一番読んだ作品数が多いのは、教科書にそれぞれ2作ずつ載ってた芥川先生か夏目先生ってことになるかな?でも夏目先生のほうは長編の一部(教科書に抜粋されてた範囲)しか読んでない。教養としての文学の素地は無に等しく、絵も字も書けない、他人の創作した物を享受するしか能のない言うならば不要不急のオタクである。
でも、あの舞台を見たことはきちんと記録につけておきたいと思ったのだ。年々悪化する鳥頭で、すべて忘却してしまう前に。
というわけで文劇3を品川ステラボールに見に行ったのだけどその話に入るにはまず「アニメ 文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~」が面白かったという話から入らないといけない。
面白かったんです、アニメ。通称文アニ。
長年オタクやっているとどうしてもモノの見方がひねくれてくるというか。メディアミックスといっても一概に「やったー」と手放しでは喜べないことがあると知ってしまっているので、アニメも「ファンの贔屓目込みで70点…いや65点くらいは付けられる仕上がりになってくれたらそれで充分」という舐めくさった心意気で視聴した。そしたら余裕でK点越えてきた。すごく……すごく面白かった。
「文アルをアニメにする」に当たって、「文豪を転生」「文学の侵蝕」というゲームの設定について真剣に考察して、そこからストーリーを組み立ててくれたんだなぁと思って嬉しかった。無難に作ろうと思えばいくらでも無難に作れるだろうに、そうはしなかったことが本当に嬉しかった。自分の好きなゲームについて真剣に向き合ってくれたことが嬉しかった。ぜひ2期やってほしいというか、審判ノ歯車の続きじゃなくてもいいので、とにかくまた文アルのアニメを作ってほしい。
そして芥川先生のことがすっかり好きになってしまった。好きっていうか……推せる気がすると思ったのだ。
大前提として「うちに来てくれたキャラのことは基本的に好き」なのでうちの図書館に来てくれた文豪のことはみんな好きだし、審神者も兼業してるので本丸に来てくれた刀のことはみんな好きだし、マスターも兼業してるのでカルデアに来てくれた英霊はみんな以下略。でもその中でもやっぱりちょっと特別に好きな「推し」がいる。好きと推しはちょっと違う。具体的には課金する時の姿勢が違う(ソシャカス)。好きへの課金は「本当にこれに課金するか?」とか「今月遊興費としてあとどれくらい使えるっけ」とか考える。でも推しは出るまで回す。推しへの課金には躊躇がない。
私はアニメ後のステップアップ召装で芥川先生が出るまで回した。躊躇がなかった。つまり芥川先生も推しになったのだろうか?しかしそうは言っても私が気になっているのはアニメで出ずっぱりだった方のアクタガワ先生である。推すのか?どうなのか?そこをはっきりさせるため、もう少し芥川先生の解像度を上げたいと思った。
ここからようやく文劇の話。という訳でDMMで配信されていた「舞台 文豪とアルケミスト」の第1弾「余計者ノ挽歌」を見たのである。元々審神者もしているので2.5次元に抵抗はないが文劇はこれが初見である。なんで公演当時見なかったかというとたぶん出演文豪の中に推しがいなかったので躊躇して、躊躇しているうちにチケット販売が終わってしまったのだと思う。文劇2は「1見てないのに2から見るのもな」と思ったのでこれまた見ていない。
そして文劇1は面白かった。意味わからんほど面白かった。ストーリーはギャグのデンプシーロールでガードを崩したところにクソ重いシリアスを突き刺してくるかのようだった。あとウィッグが自然すぎてビビった。見終わって即円盤を買ったし、この舞台を信頼したので文劇2の円盤も買った。主題歌がもう入手できないという事とサントラの類が存在しないという事にガチ凹みした。あと芥川先生の解像度を上げるために見たハズがノーマークだった太宰くんがすっかり好きになっていた。チョロすぎないか自分?
そんなタイミングで文劇3の先行販売が始まった。是非とも見たいと思った。ちなみに新型感染症対策として座席数半減、そのためにチケット代が倍になるというお知らせもあった。なので配信待ちではなく、劇場に行こうと思った。値段が倍になるという事は、公演を繰り返し見に行くような方が回数を減らさざるを得なくなるかもしれない、なら普段劇場で観劇をしない私がチケットを買えば少なくとも1人分、穴埋めになるのではないか……と考えたのである。あとチケット代倍と言ってもガチャ5回分と考えると(ソシャカスなので1回=10連ガチャ1回の意である)全然許容範囲だったので。
無事にチケットを入手し、審神者メイン副業司書他諸々の妹を道連れに(私は司書メイン副業審神者マスター他諸々)見に行ったのは奇しくも初演となってしまった2020年9月12日昼。なにせ初日の昼なので何のネタバレにも触れてない。まったくの未知のストーリーに触れるのでひたすらに楽しみであった。見た。
とんでもない舞台を見た。と思った。
力強いメッセージととんでもない量の熱を受け取った。初見の感想として「文劇を応援しようと思って劇場に見に行ったが、逆に私が応援してもらった」と思った。それぐらいストーリーに力があってそれを分け与えられた感覚があって、あと「エンタメなので応援(=客)は必要だが、心配はいらん」と言われた気分にもなった。この受け止め方はあくまで私個人のものでしかなく、全っ然見当違いな受け止め方をしているかもしれないが、とにかく制作者側の「やってやろうじゃないか」という強い意思を感じたのだ。
そして「もう一度見たい」と思った。そしたら12日は昼も夜も配信していた。夜公演を買いたくなったが帰宅時間を考えると確実に途中からになってしまう……と思ったらアーカイブもあるという。ので買って夜に見た。初見では衝撃がいろいろと強くて見逃してた部分が多かったとわかった、あと視力がクソofクソなので劇場では見えてなかった役者さんの表情などもじっくりと見られた。2回目の観劇を経て、文劇3のことが心底好きになっていた。ストーリーが好きで登場する文豪たちのセリフが好きでアンサンブルさん達と照明や音響の表現力で構築され、表情を変える世界が好きだ。この好きなものを「もう一度劇場で見たい」と思った。
カレンダーと仕事のスケジュールとを首っ引きに「いつならば見に行けるか」を考えた。この日のこの時間ならば都合がつきそうだと目星をつけたのは4公演。「この内のいつにしようか」と当初は確かに考えていたが結局4公演ともチケットを買った。チケット買えたので確実に見に行ける事に喜びながら一般発売で買える事にキレたりもした。たくさんの人に見てほしいと思ったので座席の残り数が三角なら遠慮しようと思ったら余裕で丸だった。チクショウ。いや、まあ仕方がない新型感染症全然収束してない現状で観劇行くにはやっぱり無視できないリスクがある。でもたくさんの人に、可能ならば文アル関係なしにたくさんの人にこの物語に触れてほしい……
ここら辺で気付いた。
文劇そのものが推しになっちゃったわコレ。
課金に躊躇がなかった。個人ブロマイドもアクスタも7人全員買っちゃったし。
あと、服を買った。これは私にとって非常に重大な出来事である。なにしろ私は服を買わない。学生時代から悪い意味で全然体型変わらないので、昔買った服が普通に着られるので今着ている服に穴でもあかない限りは服を買わない、年に1回買うか買わないかレベルで服を買わない。毎日毎日会社と家の往復しかしておらず、休日は部屋でゲーム周回。ちなみに弊社の年間休日は法定の最低日数であるが、そのうえで更に休日出勤が毎月発生するし代休制度は形骸化している。他社よりも始業時間は早いが、他社よりも遅くまで残業させられる。「もっとブラックなところだってあるし」の呪文を唱えながらそんな生活を就職以来ずっと続けてきたので、服を新しく買うというイベントは発生しなくなった。
でも服を買った。文劇を見に行くために。
最初に見に行った時、一応手持ちの服から見苦しくない「ちゃんとした服」をチョイスしたつもりであったが、それでも何だか舞台上から発される熱量を受け取るにあたって覚悟も何も足りていなかった。テキトーーーーーにぼんやり生きてきた私が、あまりにもテキトーーーーーな私のままであの席に座ってしまったので、舞台から「なんだかスゴイ何か」を受け取った気はするものの、その9割くらいを取りこぼしてしまったような気がしたのだ。
居佇まいを正して受け取りたいと思った、受け取り切れるかどうかはわからないけど取りこぼすものを減らしたいと思った。ので服を買った。チケット追加で買ったのは4公演だけど日数的には3日なので3着買った。服を買ったので靴も買ったし鞄も買った。アクセも買った。
「文化芸術は不要不急のもの」と言われればそれはその通りですがとしか言えないけど、でも文劇3は私に服を買わせた。「起きて、働いて、食べて寝る」生活を続けていた私に、不要不急の服を買わせた。そもそも必要必急なものだけで世の中を構成するなら私の存在自体が要らなくね?となってしまうわけだけど、少なくとも服を買った日の私は買わなかった日よりかは不要不急でなかったと思う。
私は絵が描けない、文章も書けてこのまとまりの無い日記がせいぜいで、例えば人の心を動かすような物語なんて到底書けない、何も創り出せない。でもそれを苦と思わずなんやかんやと楽しく生きて来れたのは、いろんな人が創り出したものをお裾分けしてくれて、それを楽しめるからだ。文学、絵画、漫画、音楽に舞台などを創り出す人たちがいて、それを世の中に送り出してくれる。面白い小説を読んだら幸せだし続きがあるならそれを読むまで死ねないと思うし、素敵な絵を見たらこの絵に出会えてよかったって思う。たいした事ない人生を送ってきたけど文劇3を見れたので、生きてて良かったなって思った。文化芸術、不要不急と言われればその通りですが無くなってしまったら困る、私はとても困る!劇の太宰くんは書き続けると言ってくれた、なら何も創り出せない私はせめて精いっぱいに受け取り続けたい。
文劇4は……あるのかな。文劇、すごくキレイに話がまとまってしまったけど。演出家の方のインタビューで「点を置く」って、私はよくわかってなかったんだけどこれもしかして「ピリオドを打つ」の意味なのかな。でも文劇、続いてほしいな。その日まで頑張って生きようと今は思っている。