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D.Oの音楽活動のストーリー④〜因幡ヘヴィメタル連合〜


ここまで昔を振り返ってみると、
異端なことばっかやっていた当時の自分が、

今ではまあこんなにも変わったもんだと、
自分でも不思議に思います。

今回も前回に引き続き、

自身の生い立ちを紹介するような記事を連載したいと思います。

(3年前に書いた、自身のブログからの転載・リライト記事となります)


憧れた都会からリターンしたD.Oがやってみたかったこと


僕は2004年に、福岡県北九州市から、

地元の鳥取県鳥取市に帰りました。

音楽に対する熱意や、将来に描く目標は変わっていませんでしたが、

生活基盤をダメにしてしまったことによって、一度地元で再建をしてから

次に、東京へ行くことを計画するためでした。

都会へ出ていったあの頃の自分は

とにかく鳥取を否定していましたし、

「もう鳥取には戻らねぇ」って

ツバを吐いて旅立ってたんですが、

都会での暮らしにむちゃ苦労して分かったことが、

地元の良さだったんです。

こうやって、いつかは再び都会へ、
次は東京へ行こうと思って
福岡を後にしたのだけど、

それまでに滞在する久しぶりの鳥取くらいは、

あの頃鳥取に住んでいながらも出来なかった、

やり残していたことをやって、

それから行こうと考えていました。

そして、再び鳥取にいる間は、
地元の郷土芸能や、地域の行事など、

地元に密着して色々とやっておきたかったんです。

そんな中に、鳥取しゃんしゃん祭りがありました。

鳥取しゃんしゃん祭り 傘踊り



鳥取しゃんしゃん祭りは、鳥取市の祭りの中で最大な規模の祭り


ということもあって、小さい頃の思い出から

また出てみたいと思っていたのです。

この祭りは、チームを構成し、
そのチームが何十団体も出場して、

鳥取市の中心市街地の道に列を作って
傘を持って一斉に踊るというものなんですが、

色々な個性を持った団体がたくさん出ていることが魅力です。

各団体でそれぞれ衣装が違い、
それが団体で統一されていたりして
とても鮮やかに見えるのですが、

それを観てて思ったことが、

「俺、ヘビメタだから、ヘビメタの集まる団体で出場したい」

でした。

僕は、あのX JAPANとその仲間達が、
「天才たけしの元気が出るTV」の中で
強烈な格好で街の中を歩いていて、

街中の道ゆく人がビックリして見ている絵を
ずっと再現したいと思っていて、
それでヘビメタになったくらいです。


それを「あのしゃんしゃん祭りで大勢の観客の前で、再現できたらどんなに凄いことになるのだろう?」

と、企んでいたのです。


とうとうヘビメタが、しゃんしゃん祭りに現れることに!ヘビメタとして、地元の郷土芸能をやってみたら、こんなことになった!!「因幡ヘヴィメタル連合」


そしていよいよ地元に帰って来た僕は、

しゃんしゃん祭に出場するためにはどうしたらいいのかを、

コツコツと調べ始めました。

調べて行くと、なんとまあ

案外簡単に出場できるんだということを知りました。

演舞をする内容として、

●祭側が指定する踊り方を2パターン踊れるようになること
と、
●20名の団体を構成すること
以上。


地元企業や学校などの団体が出場している祭りなだけに、

団体のあれこれを明確に証明するかのような重要書類の提出や、

(本当にヘビメタかどうかを証明しないといけないと思っていた)

厳選なる審査が行われた上で、
最終選考まで勝ち上がってやっと
出場できるのだろうと思ってましたから笑、

(コンテストの出場体験に基づいてイメージしてたから)

「え?こんなに簡単に出れたんだ!!」

って、正直たなぼたでした。

ということで、ガサッと20名を招集し、

踊りを覚えるために練習スケジュールを組み立てようとしたところ、

「鳥取駅前の風紋広場にて、開催前の2週間の毎日、

しゃんしゃん傘踊り講習会が行われるから、

それに参加したら覚えられるよ。」

って祭側から教えてもらえました。

「むちゃ参加しやすい祭りじゃないか!」

って思いました。。

その案内に従って、我々「因幡ヘヴィメタル連合」

駅前広場にて練習を積み重ねては、

踊りを踊れるようになって行ったのです。


因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん傘踊り練習中
因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん傘踊り練習中


その練習には、他にも色々な人達が参加して

一緒に踊りを練習して行く形だったのですが、

僕等が練習をしていた輪から少し外れたところにて、

なんかより鮮やかな振り付けの踊りを練習している人達がいました。

そっちをよく見てみると、、、



なんとまあ綺麗で美しい女性たちが
華麗に踊っているではありませんか!!


その風景を目撃した僕は、

やっばそっちの輪に勝手に乗り込んで行ってしまった訳でして笑、

その凄い振り付けの踊りの練習をしていた美女達の輪に乱入しては、

見様見真似で踊り出したのです。

それはそれは着いて行くのがやっとな振り付けで、

それでもなんとかその踊りを踊りきると、

その美女達が声をかけて来てくれたのです。

美女「凄いですね!しゃんしゃん祭りに出られるんですか?」

僕等「はい!それであっちで練習してたのに勝手に入っちゃって失礼しました。。」

美女「笑、何という連で出場されるんですか?」

僕等「因幡ヘヴィメタル連合です!」

その瞬間、ドッカーン!です笑

案の定、大爆笑されました笑

その忘れられないネーミングと、

アホな男達の必死で踊りの練習する姿が功を奏したのか、

僕等はその美女達と、

その後何回かイベントなどで交流することになって行くのです。

そう、その美女達は、

「しゃんしゃん鈴の音大使」さんだったのです。

どおりでお美しいワケです。

そしていよいよ、しゃんしゃん祭当日の1週間前となる頃、

RENEGADERのメンバーから一本の電話があり、

「ラジオを聴いてたら、しゃんしゃん祭にヘビメタが出場するらしい!って、番組で話題になってるゾ。」

と聞かされました。

「なんだって!?」と驚き、

「おっしゃキターっ!!」と喜び、

ますます当日が楽しみとなりました。

因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん祭の前日にて


そして当日がやって来て、その日の朝から僕の家に10名ほど集まって、

みんなで顔を塗ったり髪を立てたりして準備をしていたのですが、

その最中に偶然、ラジオをつけていたのです。

因幡ヘヴィメタル連合 D.Oのメイク中


そう、そのラジオが先日、

ヘビメタがしゃんしゃん祭に出場することを話題にしていた番組で、

生放送中でした。


それに気づかず、日常のように番組を聴いていると、

なんとヘビメタ出場の話を改めてし始めたではありませんか!!

その瞬間、僕等の手は止まり、その放送に聞き耳を立てていると、

コーナーの最後にメールアドレスを知らせていたので、

「因幡ヘヴィメタル連合、聴いてます。って番組にメールしてみよう!」


ということに。

するとするとなんとなんと!
CM明けにそのメールが読まれて、
番組がめちゃくちゃバズったのです笑

僕等はまだ出場すらしてもいないのに、
もう歓喜の渦で拍手喝采。

「昇天するって、こういうのを言うのか!」って、

感無量になっていました。

因幡ヘヴィメタル連合 いざ、しゃんしゃん祭の会場へ出発


そして昼から祭会場に集合した僕等は、

実はテレビ番組の収録を行うことになっていました。

当時、電波少年というテレビ番組で、

大学受験のために引きこもり生活をしながら

大学合格を目指す企画に出演していた、

お笑い芸人の坂本ちゃんがリポーターとなり、

しゃんしゃん祭りを取材するという番組に、

因幡ヘヴィメタル連合が抜擢されていたのです。

因幡ヘヴィメタル連合 日本海テレビ出演時


さあ収録も終わっていよいよ

お祭りスタートのために定位置に着いた本番5分前、

僕の携帯電話に一通のメールが届きました。

それは、朝の仕込み中に聴いていた

あのラジオ番組からだったのです。


担当のアナウンサーさんからの直々のメールでして、

その本文には、今日の番組へのメールに対するお礼が書かれていて、

その下になんと!!、

「明日、このラジオ番組に、お電話にて生出演していただけないでしょうか?」

って書いてあるのです。

これはもう
しゃんしゃん祭に出てる場合じゃない!
そのラジオ番組に出てる場合じゃないか!


って感じで、ワケが分からなくなっていた本番5分前。

おかげさまで、その時の祭の本番では、

因幡ヘヴィメタル連合の演舞とパフォーマンスが

一番話題となったことは言うまでもありません。

因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん祭初出場の時
因幡ヘヴィメタル連合 BSSラジオの桑本アナと木野村アナと
因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん祭2007
因幡ヘヴィメタル連合 しゃんしゃん鈴の音大使の未希さんとD.O
因幡ヘヴィメタル連合 鳥取のゆるキャラのトリピーとD.O



そして因幡ヘヴィメタル連合は、伝説となっていった


こんな感じで、因幡ヘヴィメタル連合で

しゃんしゃん祭に出場しただけだったのに、

鳥取の芸能には、ヘヴィメタルがつきものかのようになっていきました。

因幡ヘヴィメタル連合 観光イベント出演の合間にて


その後の僕等は、
まちづくりの観光事業やイベントに
因幡ヘヴィメタル連合として招かれては、

ヘヴィメタルなんかやるようなところではないところで、

ヘヴィメタルなんか絶対関われないような観光事業で、


ライブパフォーマンスや
パネルディスカッションを
行うようになっていったのです。

因幡ヘヴィメタル連合 マチナカ活性観光イベント Tottori Magic Orchestra


そしてそこにはあの

しゃんしゃん鈴の音大使さん達も参加していることもあり、

僕等はまるで、

しゃんしゃんヘビメタ大使かのように扱われていました笑

因幡ヘヴィメタル連合 鳥取三十二万石お城まつり2005
因幡ヘヴィメタル連合 鳥取三十二万石お城まつり2006


そんな中、我々因幡ヘヴィメタル連合で、

バンドライブのイベントを年一で開催していました。

祭りでブレイクしたのはいいのですが、音楽家が本当の僕等は、

それを本業に落とし込んで行かないと

なんのためにしゃんしゃん祭りに出たのか分からない。

それだけは忘れていなかった我々は、

「因幡ヘヴィメタル連合presents やるならどんとやれごっついこと、根性すえてやってみな!!」

というタイトルの音楽イベントを開催し続けたのです。

因幡ヘヴィメタル連合 やるならどんとやれごっついこと、根性すえてやってみな! ! 入場窓口の風景にて


そのイベントは、鳥取県という人口最小で、

「どのカルチャーも確立して栄えることがないこのド田舎でも

凄いモノをやってやろうじゃねえか!」


という想いで開催していたので、

ヘビメタが主催しているのに、鳥取にて活動している

J-POPやROCK、PUNKやFOLKなどの

多種多彩なミュージシャン達を集めては、

地元の大物アーティストや県外のツアーバンドも交えながら、

ビッグな音楽フェスとして開催し盛り上がっていきました。

というわけで、バンド活動?の一環で、

というか、ミュージシャンだとハッキリしている奴等が、

しゃんしゃん祭りへの出場という、

バンド以外の大きなシーンでも活躍したこの功績が、

その後のしゃんしゃん祭に大きな進化をもたらしたのです。

我々因幡ヘヴィメタル連合は、
2004年から2007年までの4年間、
しゃんしゃん祭に出場し続け、

初年次年の頃は、僕等のような
野から発生した自主団体の連の参加数は
まだまだ10%程の数でしたが、

それが出場最後の年には30%くらいにまで増加してきて、

僕等の様に個性とインパクトの凄い、

傑作な格好をして踊っている連がどんどん参加し始めたのです。

そして、その参加最後の年から初参加をした連などが

その後のしゃんしゃん祭の才能溢れる凄いチームとなって、

天皇陛下の即位礼などの行事で傘踊りを踊ることにまで至っています。

今のしゃんしゃん祭は、自主団体の連の参加が50%に近いのではないでしょうか。

それくらい、鳥取を代表する、
鳥取を全国へ有名にして行った
お祭りへとなっています。


その歴史のスタートに、因幡ヘヴィメタル連合が火を付けたと、

革命の様なレジェンドだったとして今でも語り継がれていることを、

グランプリを取りまくっている現役の演者さん達から知らされた最近。


それを聞いて、またちょっとだけ、むちゃ久しぶりに、

「因幡ヘヴィメタルを復活してみたいなあ」って、

なんか、ふと思いました笑


次回へと続きます



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