【一度信じたならとことん信じぬく】
※過去に配信した池森流男義論です。
皆様は人と関わるとき、繋がりたいと思ったとき、どこに重要性を置くだろうか?
大きく分けて二つある。
1.人間性
2.その人間に付随するもの(肩書きや収入、友人関係、環境や生い立ち、国柄や人種、家系など)。
断言して云える。
1である。
人間性である。
ただ、2を否定していないし、これら要素には人間性を裏付ける信頼度は高い。
だが完全性は強ち完璧性を持ち合わせていない。
その個人の特性つまりは本質と性質であり、それらは日々の生活に必ず現れている。
礼儀や言葉遣い、接し方、過ごし方、考え方である。
人としての部分であり、何も持たない裸一貫の根源的な人間形成の魂を宿す部分にこそ、信頼できるか、信頼できないかは大きく分かれる。
では信頼とはいかなる存在であろうか!
あなたにとってその身その心を安心して露に許せる場所である。
幼子が抱かれる母の胸のような場所であり、それが信頼という存在だ。
だが、その信頼は少しずつ積み重ねていかねば信頼には辿り着かない。
そして望ましいのは相互信頼関係にある。
一方のみの信頼は一方には重たいが、信頼という個体は存在しても信頼関係はそこにはない。
だが信頼の何足るかを考えてみたならば、あなたが信ずるに足る存在か、あなたが信ずるに足る相手か、ここのみに尽きる。
これこそが信頼の根であり幹である。
そして信頼を大地に根付かせ、空高く無数の枝先のように、そこから咲きだす花びらのように開花させねばならない。
他者を信ずるとは己を信ずることにあり。
あなたの眼力や懐も問われる。
色眼鏡や盲目になってはならない。
突き詰めるならば、みんながそういうなら私も信頼しようではない。
信頼とはそんな軽いものではない。
軽いものではないからこそ、一度信じたならとことん信じぬく姿勢が大事だ。
仮にその信頼が裏切られたとしても、とことん信じたなら気持ちいいものだ。
そこには後悔や怒りといった囚われはない。
あなたは人に信頼されてますか?
あなたは人を信頼してますか?
もっと重要なのは、
あなたは、あなたを、信じる人の為に、信じてもらうに値する信頼をあなたが貫いてるか!
あなたは、あなたが、信じる人の存在を、不動なまでに、信じるに値する信頼をあなたが持ち合わせているか!
に当たる。
信じきったなら裏切られたとしても、自然と許せるものだ。
いや、許す許さないもない。受け入れられるもの、自分自身の行為を清々しく感じるものだ。
一度、じっくり【信頼】に付いて深く見つめてほしい。
すべては信頼から成り立つ!