【SNSのデメリット=リアル社会との違い(根本的な共通点として人(心)対人(心))】

こちらは2018年1月28日配信のメルマガです。

過去の配信分をランダムに、投稿させて頂きます。

人と人の関わりは常に顔を合わす方であっても、一期一会の気持ちで向き合うべきである。


どんな関わりも最初は一期一会で始まるが、何も始まりだけを意味してはいない。


初心の気持ちは人との出会いに於いても、忘れることなく重宝しなければならない。

同じ時代に生まれ、限られた場所で出会うことが、いかに確率の低いことか、例えるならば砂漠で可憐に咲く花を見つけるが如く容易くはない。


同じ時代に生まれ、同じ日本に育っても、生涯を通して知り合える人間の数などほんの一握りでしかない。


しかも継続的に関わっていく関係となるならば、より一層その確率は低くなるものだ。
いわゆる人と人の出会いは奇跡だと捉えても良い。

そしてこれらは何もリアル社会に限られたことではない。


ここ数年、近年に於いて急速にネット社会は拡大し、今では誰かが何かしらのSNSを利用しているだろう。


オンラインとは云っても侮ったり軽視してはならないのは、その先には人が居て心があることだ。

つまりはリアルと何ら一切変わりはない。
人対人 心対心が存在している訳である。

このように認識したならば、リアル同様にSNSに対しても真摯に向き合い、疎かには出来ないことは一目瞭然だ。


相手が何を伝えようとしているか、自分自身を理解してもらうこと同等に理解に努めなければならない。

互いを理解するためにはどうすべきか?
信頼関係の重要性は関わった時点で問われ、主観で見ず、相手の気持ちを汲み取ることで、相手との今後が決定付けられる。

これら要素を根底の部分として、私はSNSの最もたるデメリットとなりうる点に付いて触れていきたいと考える。

私は九年前にアメブロ、六年前からFacebookに携わり、実感として伝えさせて頂く。


至るところで散見するが、結論から述べていくとしたい。

リアルで向き合っていたならば、解決に繋がったり、そもそも意見の食い違いや見解の相違、意図を誤って汲み取るなど、発生しない自体がSNSでは生まれ、しかも解決には繋がらない物別れに終わり、関係性までも終わる勿体なさにある。

とても残念なことで、これらは以前に時に固定観念や先入観により、既に関係性など信頼さえない虚像の構築による場合さえある。

自分の主張や意見を伝えることは必要だし、相手を思いやり敢えて同意することも大切なのだが、一方通行になりがちであったり、じっくりと話し合わない向き合わないために、愚かにも終わらずして終わることのいかに稚拙な行為にあるかに問題点は浮上する。

だが、実際にひとつのテーブルを挟んで一度(ひとたび)、表情を見、言葉の温度を計らい、考えていることを伝えることで、実は簡単に解決へ繋がるものだ。


しかもその傾向は高い。

ネットだと人対人 心対心であることを稀薄化させ、蔑ろに扱ってしまいかねない。


だからこそ、誤解は生じ、無駄な問題や争いが発生し、SNSに対して危惧の部分が解消されない。


これらは個々の才量に実は託されていて、本来は容易く、何も論じるに至らない問題ばかりなのが実情なのである。

例えばこれが会議の場や会って話す必要があったり、そのように場を設けていれば、大多数の問題は解決に至り、関係性はより信頼を高め、時に生涯の関わりを構築させてくれる。

とても残念なのは、この状態に至るまでに関係性が壊れてしまうことにあって、尚且つ引き金となってマイナスの固定観念や先入観を抱いてしまうことの懸念さに尽きてくる。

しかも実際に偶然にも街中で遭遇したとき、抱いてしまったマイナスのイメージに束縛され支配されているから、挨拶を交わすどころか、嫌悪感が勝り、知らぬ存じずで対処してしまうだろう。

リアルにしろネットにしろ、理解力と人間力という器量の幅が個々に問われ、その力量才覚がある者にだけ、解決策となる打開策や道は開けていく。


どうしても人の器量には差があるし、致し方なきことだ。

忘己利他の精神が、器量の幅を広げ、理解力を高める。


精進を怠らず、人間的思考を鍛練することで、多角的解釈や主観を超えた物の見方が出きる。

SNSのデメリットの最もたる要因を孕んだ人間関係を潤沢にする為には、例え孤高にあっても相手を理解する気持ちを大切にしてこそ、メリットに転換させ、その力は自他を尊重し、自らの肥やしとなりゆく。


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