(小説)ようこそ、アントレ部へ~第二話~
二人と別れた後、僕は一人寂しく新しい学び舎となる一組の教室へと向かうことにした。いや、訂正。別に寂しいことはない。僕はいつも通り一人新しい学び舎となる一組の教室へ向かった。・・・いや、いつも通りもおかしいか。まあもうどうでもいい、とにかく僕は一組の教室へと歩き出した。
ただその途中、一組の教室の場所を確認する為に下駄箱を通り抜けたすぐ左手にある階段手前にある案内図に気付いた。ありがたいことに、みんな案内図は見たらすぐに自分の教室へ向かうのか、案内図の前には誰もいない。なので、僕はゆっくりと案内図に目を通す。どうやら一組の教室は北棟の4階の一番西の教室らしい。そして何となくその他の教室の内訳も確認してみる。
まず阿野国高校は、一年が4階、二年が3階、三年が2階と学年が上がる度に階が下になっていくようだ。学年ごとに階が分けられているのはわかるけれど、最高学年が一番下ということに少し驚く。
そして、一組から三組までが北棟、四組から六組までが南棟に教室があるらしい。つまり、将也たちのいる六組は南棟の一番東にあるということ。これはなかなか来られる距離じゃないな。これには正直少し落胆した。
誰にも気づかれないように小さくため息をついた後、僕はゆっくりと階段を上る。2階、3階、そして4階へと・・・。
「ねえ、キミ。ちょっといい?」
4階へと向かう階段の中腹に差し掛かった時、突如下の方から誰かを呼び止める女性の声が聞こえた。呼び止める声に、僕は一瞬足を止める。けれどすぐに呼び止める相手は自分ではないと感じた。
何故なら、声がしたのはたぶん階段の下からではなく、3階の北棟からだ。つまり、2年の先輩の誰かだろう。
中学の時は3年間ずっと帰宅部だった自分に、親しい先輩など一人もいない。したがって、この高校に自分を知っている人はいない。ましてや女子の知り合いなど同級生でもほぼいない。なので、僕は自分ではないと判断し、再び階段を上り始めた。
すると下から勢いよく階段を駆け上がってくる足音がしたかと思うと、左肩をがっしりと力ずよく掴まれた。
「あらあら?先輩が呼び止めているのに、無視するなんていい度胸じゃない?」
どうやら先程呼び止められたのは紛れもなく自分だったようだ。それよりも僕の左肩を掴んでいる手にどんどん力が込められており、爪がメリメリと肩に食い込まれていく。
「い、痛たた、痛い!やめてください!」
たまらず僕は呻き声を上げる。しかし、それでも彼女は手の力を緩めない。その上、少し満足そうな声でこう言った。
「やめて欲しかったらまず言うことがあるんじゃない?」
言わなければならないこと?意味が分からない。それに今の僕には考える余裕もない。なので、僕は訳も分からず無我夢中で言葉を捻り出す。
「な、なんのことです!何を言えばいいんですか?」
「ご・め・ん・な・さ・い・よ!そんなこと小学校でも習ったでしょ!」
「ご、ごめんなさい!だから早く止めてください!」
ここで彼女は「分かればよろしい」と言い、手の力を緩め、僕の左肩を解放した。解放されるや否や僕は思わず、右手で掴まれていた箇所をさする。おそらく意味はないかもしれないが、気休め程度にはなるだろう。
それにしても、いきなり肩版アイアンクローを見知らぬ女子生徒から食らう羽目になるとは思いもしなかった。それなりの進学校だと思っていたのに。
そう僕がこの高校に来たことを少し後悔していると、今度はぐいっとかなり強めに左腕を引かれた。この行動も予想していなかったので、階段を踏み外しそうになるのを何とかこらえる。
「それじゃ、ここだと通行人の邪魔になるから、別の場所で話しましょ?」
「ちょ、ちょっと!いきなり何なんですか?僕は何の同意もしてませんよね!」
ここでようやく彼女の姿を目にする。身長は大体160前後で、黒髪のショートボブ。顔はまだはっきり確認できていないが、どう考えても僕の知り合い網に該当する人物はいなかった。
そんな彼女は、僕の言葉のどこ吹く風といった感じで、構わず階段から引きずり下ろし、「いいから、いいから」とグイグイと3階の北棟の方へ引っ張っていく。その道中、二年のクラスが並ぶ教室の廊下を通るものだから、廊下や教室にいる先輩たちが引きずられている僕に気づくと、当然好奇な視線を送ってきていた。
なんで入学式こんな罰ゲームみたいな目にあわないといけないんだ。なんて悲観に暮れるも僕の腕を掴んでいる彼女の手は、先ほど同様強くしっかりと掴まれ、振りほどけそうにもない。それに、本音を言うと見知らぬとはいえ、女子と腕を組んでいると言えなくもないこの状況に少しドキドキしている。そんな下心もあり、僕は大人しく彼女に連行されていくのだった。
「さあ、ここだよ。」
様々な好奇の目に晒されながら彼女に連れてこられたのは、北棟の東側に並ぶ特別教室のうちの一室だった。入口の表札を見ると「特別活動室」と書かれている。
中学の時にはこんな教室はなかったので、物珍しさにキョロキョロと辺りを見回していると、僕をここまで強引に連れてきた少女は腕を掴んだままくるりとこちらに振り返り、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ようこそ、アントレ部へ!」
ここで僕は初めて彼女の顔をはっきりと認識する。それと同時に、今まで経験したことがないような感覚が僕を襲った。
世界が一瞬止まった。
ベタかもしれないけれど、この表現が一番だと思う。その証拠に、まるで親や妹の目につかないように隠し持っているアイドルの写真集の一ページのように、その映像が僕の胸に強く焼きつけられていた。
「うん?どうしたの?私の顔をジッと見て?顔に何かついてる?」
何も言わずにいる僕を不思議に思ったのか、少し顔を近づけ、下から覗き込むように見つめてくる。そんな彼女の行動に僕の胸の鼓動が更に早まる。それに何だか顔もカッと熱くなったような気もする。なので、僕はたまらず彼女から顔を背け、「な、何でもありません」と少しどもりながら答える他なかった。
彼女は僕の言葉に「ふーん、そう?」と完全には納得していないような顔をしていたものの、僕の腕から手を放した。そして、「立ったままの何だから座って」と言い、長机を囲うように並べられたパイプ椅子の一つを引き、座るように促す。
僕は彼女に促されるまま、素直にそのパイプ椅子に腰かけた。正直、頭がフワフワとしており、もう先程彼女から受けた理不尽な仕打ちやなぜここに連れてこられたのかなどの諸々の理由などどうでもよくなっていた。
これが一目惚れというものなのだろうか。自分にはそういったものは無縁のものだとばかり思っていたのに。いや、もちろん女性に興味が一切なかったなんてことはない。人並みに興味はあることは自覚しているし、中学の同級生の女子にも可愛いと思う子もいた。けれど、これまでそういった子とどうこうなりたいと思ったことが一度もなかった。何というかその子がどういう子なのかをきちんと知ってからでないとなんて本気で思っていたし・・・、いやでもこの気持ちは・・・。
「ねえ?本当に大丈夫?」
僕が悶々と考えを巡らせていると、いつの間にか僕の隣に腰かけていた彼女が怪訝そうな表情でこちらを見つめていた。しまったまた押し黙り過ぎた。
(ち、近い。)
その上、またまじまじとこちらを見つめているこの状況に、僕の胸は限界を迎えようとしていた。
「だ、大丈夫です。そ、それでご用件は?」
もうどうでもよくなっているけれど、場を取り繕う為、僕はそう言葉を紡ぐ。そうすると、彼女は思い出したような顔をして、こう言った。
「あ、そうそう。ねえキミ。もっときちんと顔を見せてくれない?」
さっきからずっと見てるじゃないかと思ったけれど、彼女に応えるように、何も言わず背けていた顔を彼女の方に向けた。当然、僕の視界が彼女の顔で一杯になる。それに呼応するかのように胸の鼓動が更に激しくなった。もう激しすぎて、口から飛びててしまいそうなくらいに。
そんな僕の心情など知る由もないだろう。先ほどに増して彼女は僕の顔をまじまじと見つめてくる。なんだこれ、新しい拷問か何かだろうか。しかし、ありがたいことにそんな苦痛な時間はすぐに終わることになる。
「あっ、やっぱりアッキー?」
ふと何かに気付いた彼女は、突然こんなことを言い放った。それほど大きい声ではなかったが、不意な彼女の声に僕の心拍数はこの日の最高値を叩き出したのではないかと思うほど跳ねた。
「え?アッキー・・・って。」
僕への呼称は、いくつかあるが、基本的にみんな苗字の「三谷」か、それをもじったあだ名ばかりである。僕の名前「章仁」からなぞらえたあだ名で呼ぶのは、母さんとあと一人だけ。それこそ僕を「アッキー」なんて呼ぶのはこの世に一人しかいない。
「も、もしかして、アキ君?」