正しさを追い求めることの問題点

みなさん、こんにちは。

正しいこと、正しくないこと、良いこと、悪いこと、
今日は、そんな善悪や成否を明確に分けようとする傾向は強いように個人的には感じています。

特に、相手を言い負かすことは、討論を仕事にする政治家や弁護士などに限らず、一般社会にもよく見られる光景ではないでしょうか。

しかし、僕は次のように思います。
それは、正義や悪は絶対的なものではなく、相対的で暫定的なものであると。

その理由としては、人の判断には少なからず、誰かの主観が入り、客観的という言葉を笠にするしかその正当性を主張することが出来ないからです。

つまり、民主的の大前提、多数決による判断において、その大多数が後々誤りだったと思われる判断を下すことがあり得る。言い換えれば、大多数が意図するにしてもしないにしても、悪と相対的に判断できそうな事柄を正しいと判断すれば、それが正しいということになるということです。

それに、正しいと現代的に言えることにおいても、状況が変われば必ずしも正しいと言えない場合があり得ます。

例えば、人にやさしくするという行為は、勿論基本的には道徳的に正しいとされることです。しかし、子育てにおいて、そのやさしさのみを子に与え続ける、言い換えれば甘やかせると呼ばれる状態になると、その結果、その子が社会に害をなす問題児になり、やさしさが悪になってしまうのです。

そのことを踏まえると、正しさというのは時代の流れの様に、常に移ろうものであるということは忘れてはならないのかもしれません。

そうなれば、時に誰かと対立状態になった時、意固地にならず、俯瞰的な視点を持つことが出来て、対立状態を早期に解決するしなやかさを持つことができると僕は思います。

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