祈りは心配ではなく希望である
みなさん、こんにちは。
心配する、子を持つ親や親友と呼べるような間柄の友人、その人を大切に思えばこそ生まれる感情です。
しかし、心配から生まれるものは何かと考えた時、残念ながら心配することで得られるものは何もないように個人的に感じています。しいて言えば、その人を大切に思っているぞと自己満足あるいはその対象へのメッセージくらいでしょう。
本当に大切に思っているなら、どれだけ心配という感情が湧いてきても、相手の背を押す声援や応援の言葉がいい。
無責任な言い方かもしれませんが、人生という人の物語の脚本かつ監督する責はその人生劇場の主役であるその人しか負えません。つまり、たとえ失敗しても誰に対しても責任を追及することは出来ないのです。
それならば、自分がこうだと考えた行動を選択する。
たとえそれが、傍から見ればバカげたことだと思えることであっても。その方が最終的に当人の後悔が成長と呼べる人生の糧になり得ると僕は思います。
可愛い子には旅をさせよ
ことわざにそんな言葉があるように、危険に晒されたり傷つく可能性もあるでしょうが、一人で人生という長い長い道を歩んで行ける力をつけてくれたらと、心配ではなく、きっと大丈夫だと祈ることが大切なのです。