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ベルリンのリエディットレーベル Jolly Jams 10周年: DJ Kaos Interview
DISCO, HOUSEのDJに使いやすいリエディットなどをデータとバイナルで大量にリリースしているJolly Jams。レコードのラベルはホワイトラベルにスタンプを押しただけで、謎につつまれている。2010年からちょうど10周年。今後のリリース予定も含めて、主宰のDJ Kaosにインタビューを行った。
(DJ Shikisai & DJ Pigeon)
Jolly Jams BEATPORT :
https://www.beatport.com/label/jolly-jams/17699
私はDJ Kaosさんのことを2001年の、"Renegades EP (Compost records)"で知りましたが、その頃はもっとアブストラクト・ヒップホップのようなサウンドだったと思います。2005年のアルバム"Hello Stranger"から、かなりハウス色が強くなったように記憶していますが…
おお、2000年はじめに、コンポストにいた頃の記憶が蘇ってきたよ。あれは20年前だった。その頃は"ドラムブレイク"が入ったレコードに執着して掘っていて、私の音楽のスタイルはサンプリングベースのヒップホップだったが、その元ネタにしていた音楽から強い影響を受けたんだ。ちなみに"Renegades EP"は裏側にハウストラックも入っているよ。
"Hello Stranger" は私の Studio !K7 からの初のソロアルバムで、3枚のレコードを出すことで契約したんだ。私はナイトクラブでDJをし始めた頃だったから、私の音楽が早く、より踊れるサウンドになっていたのは自然な流れだった。私は皆のやっているジャーマンテクノは好きじゃなかったから、アイディアとしてはもっとディスコやハウスよりのアルバムを作ろうと思った。それらがダンスミュージックのよりルーツだと感じたからね。
そして、これは私が80年代終わりにニューヨークのクラブに行った時の様子を表現しているんだ。DJ達はディスコやハウスをかけていたよ。
それと、1998年にはStudio !K7から、DJ KicksのミックスCD(*グループTerranova名義)も出したよ。レーベルにとってとても良い時期だったんだ。
DJ KaosさんのDJプレイは、名前の通り、色々なジャンルを混ぜこぜにした、"カオス"なプレイだと思うんですが、いつDJをはじめましたか?またその頃からプレイスタイルはかわりましたか?
"KAOS" という私の名前は、実は、80年代半ばにグラフィティをやっていた時から使っているんだ。その名前を、曲作りやDJでも使い続けている。
私は、90年代にベルリンの**WMFというクラブでDJをはじめて、毎土曜に、それが2年間続いた初のレジデンドだった。その中で、Kruder & Dorfmeisterや、Carl Craigと競演した。Dixonは私のレジデンドパーティからDJをはじめたんだよ。
私のDJスタイルは当時から全く変わっていなく、アートに対して常に広くとらえている人間なんだ。
想像してほしい。私はランダムなDJをしているわけではなく、すべては想像と革新だ。似たような音ばかりでDJをしているヤツはたくさん居すぎる。
**WRF : WRF(Württembergische Metallwarenfabrik)とは50年代からあるドイツの老舗食器メーカーでその跡地をクラブにしていたため、名前がそのまま転用された。1991年から19年間存在していたクラブ。テクノに傾倒しているトレゾアとは対照にヒップホップ、レゲエ、ハウスにメインジャンルをおいていた。
MASSIVE ATTACKと撮影した写真がありますが、これは、Terranova(アブストラクトヒップホップグループ)として活動していた時の写真ですか?
この写真もベルリンのWMFで私のレジデントの夜にMASSIVE ATTACKが出演して、その時撮影したんだ。Terranovaが結成されたのはその後、私は最初のLPに参加したあと、すぐにバンドを抜けた。
私はグループに依存したくなくて、常にソロになりたかった。そのため、すぐに自分の曲を作り始めて、そしてレーベルJolly Jamsを立ち上げたんだ。
DJ Harveyとの写真や、マニュエル・ゲッチングとの写真もありますね。
ハーヴェイも良いDJだね。
マニュエル・ゲッチングは私にとって、ドイツのオリジナルなサウンドを作った究極のアーティストなんだ。彼の作品を細かく聴いていくと、ドイツのエレクトロ・ミュージックに与えた影響がハッキリと見えてくる。彼はデトロイトのアーティストやDJ達にも影響を与えたし、それが"テクノ"に繋がっていった。マニュエルの"E2 E4"はテクノの原型だし、そのほかの作品も様々なゼネレーションの人々に影響をあたえた。
そして彼はなにより、**オリジナル・ベルリナーだからね。私のように!
**完全なる江戸っ子みたいなノリでベルリン生まれベルリン育ち
Kaosさんは何度か日本にもいらっしゃてますよね!思い出深い事などありましたか?
日本はいつも楽しいんだ。凄いクレイジーな話がいくつかあるけど… ここには書けないな。笑
指をクロスして祈って、この狂ったコロナウイルスが早く終息したら、一緒に踊ろうぜ!
ところでJolly Jamsは今年10周年ですよね!おめでとうございます!
おお、10年たってしまったんだ。ワオ。ありがとう!
レーベルを始めたきっかけは何ですか。
レーベルに契約したが、ライブするのもやめたから次は自分のレーベルを立ち上げたいとおもって、Jolly Jamsのことを思いついたんだ。もう、10年なんて信じられないな。
Jolly Jamsから唯一作品を出しているBalearic Skip(aka アレックス・オルソン)ってプロのスケートボーダーですよね!? Jolly Jamsもスケートボードのシーンとは密接な関係にありますか?
スケートボーディングは全ての発端だね。思い起こしてみれば、80年代に私もセミプロだったんだ。
アレックスは旧友ですごい才能があるし、それはスケートに限らず音楽もね。このインタビューで"Balearic Skip"に触れてもらえて嬉しいよ。彼はそのほかにも"Bianca Chandon" や "917 skatebords" などなど、ブランドも立ち上げてる。
2015年の"Midnight Patrol EP"を境に、レーベルのリリースはよりDJツールよりに、硬くハードな音が多くなったように感じますが、ベルリンの現在のシーンなどにも影響していますか?
”Midnight Patrol” は私のリエディットレコードだね。音楽は早くも遅くもカタくもソフトにもできるし、私は音楽に対してはオープンマインドだから、クラウド(観客)の流れにすべてあわせるよ。ただし、あなたが見えているモノはリリースされたモノだけで、それが私達の全てではない。
そしてJolly Jamsにとって一番大事なのは、"ダンサー"達で、DJは主役ではない事なんだ。
世の中には自分にフォーカスしすぎているDJが多すぎる。彼らのほとんどに何かクリエイティブな事をしてるのか?ってきくと、答えは「うーんと…とくに何もリリースはしていなくて」って感じだ。DJの世界では既に生活していけるレベルなのにおかしい。
私はこれから世界がかわっていくのを望むよ。ケツの重いDJ達がエンジニアの勉強をしたり、曲作りを学んだりして、とっととケツをあげるのを祈る。誰だってDJになれる時代なんだぜ? ははは。笑
2020年のJolly Jamsの計画はありますか?
ああ、私の新しいレコードが6月5日に発売になる。Jolly Jamsから、"Only Dead Man Are Fee“というタイトルだ。
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■ Jolly Jams 超・簡易ディスクレビュー
(2001) DJ Kaos - Horny Morning Loop
Jolly Jams記念すべく1枚目のリリース。Marcus Mixxの1991年の作品、House Flash Backのベースラインを転用したトリッキーなハウストラック。
BEAT PORTはこちら
(2017) DJ Kaos - Save the World from Bad Music
Jolly Jamsリエディットシリーズの1つ。バイナルリリースなし。こういうホワイトラベルのみで出しそうなタイトルをBeatportだけで放出している所がDJ的にはありがたい。なかなか皮肉なジョークを言う人だけど、このタイトルも、またなかなか。笑 BEAT PORTリンク
(2017) DJ Kaos - Promo Only 5
テッキーでバレアリックでロマンティックなトラック。パーティの早い時間も中ごろも終盤でも使えそうな曲調で、長くタフにつかえそう。BEAT PORT リンク
(2019) V.A. - DJ Kaos presents Jolly Jams
DJ Kaosセレクト、Jolly Jamsのおいしいとこどりのサンプラー、コンピレーション。はじめて聴く方はここからチェックしてみても良いのでは!
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