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零細企業のアトツギ改革!3年で売上3倍にした話(vol.2)
皆さま、お久しぶりです。
前回の投稿から少し時間が経ってしまいましたが…
今回は「私が家業を継ぐに至った背景と、東京進出を決めた経緯」についてお伝えします。
▼前回の投稿はこちら
父との会話で芽生えた"アトツギ"心
「大学卒業したら家業に入れ。お前は後継者だから在籍するだけでよいぞ、何もしなくてもお金は貰えるようにできるからな」
これは、大学入学あたりから事あるごとに父から伝えられてきた言葉です。父には”創業した会社を家族以外に渡したくない”という強い思いがありました。
幼少期から父が家族と社員の生活を守る責任を背負い、覚悟を持って会社経営する姿を目に焼き付けていました。
そんな家庭で育った私には”経営者になりたい”というぼんやりとした気持ちが自然と芽生え、”将来は家業を継ぐか、起業するぞ”と大学卒業時に決めていました。新卒で働いていた家業の取引先で働いていた時も、別の会社で働いていた時も、自分の人生の意思決定の軸には身近にいた”猛烈に働く経営者の父”という人生の軸となるロールモデルがいました。
ただ実際に社会に出てみて”特に起業したい分野がない。家業を継ぐ道もあるけどすぐには…。このままサラリーマンとして過ごしていたら、居心地よく感じて起業や家業拡大の道には進まず終わりそうだな”という、決心がつかない気持ちに。
そんなとき、父から突然電話があり「20年以上続けてきたこの会社を家族以外にどうしても渡したくない。考え直さないか?」と。
この時、私は"父の会社は父が27歳の時に起業し続けてきた会社だ。今の私の年齢の時に立ち上げたので、謂わば家業は父の人生そのものじゃないか。父の人生の結晶である会社を他人に譲ってよいのか。もしも譲って他人が父の会社を倒産させ家業を消滅させてもよいのか?私にしかできないことがあるではないか?"と使命感を感じ、家業を継ぐことを決意しました。
ところが、家業を継ぐというのは簡単なことではありませんでした…
想像と異なった、家業の実態
家業を継ぐと決めて動き出したのは2020年4月。
これからどんなことをやっていけるのかと胸を躍らせていた私ですが、
実態は改善点だらけ、何から手をつければいいのか…と頭を悩ませる日々。
私が感じた課題について例を出すと、
・社長からの指示がすべて電話
・感覚に頼った営業活動
・意見が言いやすいとは言えない風土
などなど、言い出すとキリがないですが、このあたりで留めておきます笑
"家業は楽なものではない"と改めて実感するとともに、
"自分を育ててくれた家業、状況はどうであれ、やっぱり自分の手で大きくしたい"
という自分の中での覚悟が芽生えた瞬間でした。
東京支店の設立に向かって
本社が岩手県にある弊社ですが、自分の中にある迷いが生まれていました。
それは"生涯、岩手県内だけで家業を維持するのが正解なのか?"という点です。
現在、岩手県では人口減少が著しく進んでおり、2015年~2020年の5年間で6万人以上が減少しているというデータもあります。
自分が知っている学校が次々に廃校になり、老人ホームなども廃業している事実などもあり、「縮小が見込まれる市場で事業継続するだけで良いのか?」という疑問がわきました。
また、現時点官公庁メインで取引している家業は資金繰りの面で民間企業との取引増加も重要なポイントで、特に大手との取引先を増やすことにより市場を獲得し、会社の大きな成長にもつながるのではないかと考えました。
東北であれば仙台に拠点をつくるという選択肢もありましたが、
"どうせ市場開拓するなら、仙台よりも東京で勝負してみたい"という気持ちが芽生えました。コネクションも何もない土地でしたが、"父の名前や会社の知名度(看板)を借りずに勝負してみたい"という気持ちが勝り、東京進出を決意しました。
父への志願、課されたミッション
東京進出をするにも、まずは社長である父への説得が必要です。
「東京進出したいので、これを読んでください。」
事前に作成した20ページにわたる企画書を父に渡しました。
「お前、1社目の取引先では作れなかったのにこんな資料も作れるようになったのか。わかった。やりたいならやってもいいが、1つ条件がある。1年間東京で個人事業主として活動し、自分の飯は自分で稼げ。実績を見て考えてやる。」
そう言われ、まずは1年間個人事業主として活動することに。
この1年間も決して楽ではありませんでしたが、自分が決めた東京進出という目標を途中で諦めるわけにはいかず、必死に働き続けました。
こうして1年後、父との約束を果たし、念願だった"東京進出"を叶えます。
次回、東京進出後の新たな挑戦、そして売上3倍達成の裏話をお伝えします。