早春の美祢線と仙崎①
近年ローカル線について存廃の議論が活発化している。山口県西部を走る美祢線もその1路線。現在は2023年の水害で橋脚が流失するなどして代行バスの運行が続く幹線である。
…そう、幹線なのだ。水害以前からキハ120とかいうレールバスが1両走る閑散路線だが、一応幹線なのだ。その歴史は1905年に始まる。現在の山陽本線を運営していた山陽鉄道が大嶺炭田の輸送を目的に厚狭ー大嶺間を開通させた。その後大嶺の1つ手前の伊佐(現在の南大嶺)から現在の美祢方面に線路を分岐させ、1924年に正明市(しょうみょういち、現在の長門市)まで全通させた。当時は大嶺からの石炭、美祢からの石炭と石灰石を宇部や山陰線岡見まで、2013年までは岡見から美祢まで石炭火力発電の副産物であるフライアッシュを貨物輸送していた。それで日本有数の貨物収入を得ており、幹線指定されたのだ。言うなれば北海道や九州でよく見られた貨物主体の路線だ。
この路線の存在意義だった貨物輸送も大嶺炭田の閉山、国鉄の高価格低品質な輸送等によるトラック輸送への代替等により2013年に運行終了、2014年に運行廃止となった。
今回の旅行はただ一つ。廃止前に美祢線に乗ること。まあ代替バスなんだけど。
②に続く