三枝明那と卯月コウ、時々ふわっち

ただ2人とふわっちについて順にまあまあ語ったあとに思いを綴るだけ。自己満のぶちまけノートなんで。
誰がなんと言おうと三枝明那推し・きっかけ及び好きなコンテンツとして卯月コウ、文句なしに面白くて見るたびカッコ良いなと「負ける」のが不破湊。

三枝明那


キショキショオタクは常に三枝明那のことしか考えていない。Twitter(絶対にXとは呼んでやらない)では日々、狂ったように愛を発信している。それの良し悪しは置いておいても、このジャンル飽き性のきらいのある自分がここまでのめり込み、まる一年のあいだ熱の冷めることなくズブズブに沈んでいる現状とは大変に珍しいものである。これは彼が実際に命ある人間であり、更新型のコンテンツである配信業に身をおく存在だからというところがあまりにも大きい。ただ、彼自身最近になってブラックジョークにしている「半年の空白」だって私の知る三枝明那史の約半分を占めるほど大きかったはずなので、前述の理論はどうなったの?というところ。休止期間6ヶ月程度、その間悩み苦しみ藻搔いていたであろう彼は私の中で半ば偶像に近くなり、かつて二次元の漫画キャラやゲームキャラを推していた時の「空想」に近くなった。本人とコンタクトの取れない期間においてただ純粋に心配をしたり、彼を好きな人々と話すことでなんとか彼の灯火を繋いでいた、ような。そんな二次元での推しへの空想型活動にシフトしつつ、熱覚めやらぬままここまで来た。来ることができた。二次元で活動をしていた時だって長年好きだったジャンルもあるが、当初毛嫌いをしていたVtuberという存在を肯定的に知ることができて、そこから過去一の熱量で推せているのが喜ばしいことなのだ。勿論古参の方の深い愛・動じない心には到底及ばずではあるが、私の1年間にはこのような経験が詰め込まれ、三枝明那復活後は半ば神格化するような心地さえ覚えている。偶像崇拝はタブーであるが、彼の神秘性・純粋さ・直向きさ・自虐的な暗さ・リスナーに向けてくれる本当に真摯な姿勢に湧き上がって「三枝明那は神!神!神!配信はリアタイで全部見るぞ!うおおおおおお!」になるのも仕方ないことである。正当化するな!コンチクショウ!
独特のオーラを持つ三枝明那は、オリジナル曲「はんぶんこ」からも分かるようにひたすら自分を見つめてきた人だ。元来真面目なのだろう。過去の配信もおさらいしたり歌を聞き返したり、パフォーマーなのだから自己研鑽も振り返りもそりゃあするだろうが、私は自分を振り返ることができない。私もパフォーマーの端くれだったりするが、自分の歌の録音を聴いていると耳鳴りと吐き気がする。歌が下手だとかそういうものもあるかもしれないが、それ以前に自分の声を聞くだとか、顔や動きを見返すなんてのには本能的な拒絶感があるのだ。まるで吐瀉物をまた経口で体内に戻すかのような。慣れ作業だとは言うが、自己嫌悪感の強い私にはなかなかできないことだ。話は逸れたが、そんな風にリスナーと、世間の目と、自分の立ち位置と、何より自分自身をあれだけ見つめ続けられる人だからこそ三枝明那にはオーラがある。ことステージでは彼のこれまでの人生を全部振り絞るかのような、聴いているだけで彼の刹那性や人間性をまざまざと見せつけられるパフォーマンスが見られる。彼のステージングは台本や構想に裏付けられはするものの、彼自身のオーラがあればこその仕上がりになっていると思う。明那がこちらに向けてくれるクソデカ感情を、オタクもまたクソデカ感情を持って太刀打ちする。胸に溶けるその歌声は、じんわりと涙を誘う。終わる頃には号泣もんだ。三枝明那が自己嫌悪に負けず、自分の声やママからもらった姿を気に入ってくれていて良かった。君は素敵だ。本当に(偶像崇拝)(偶像ではない)
私自身は異色(これは良い言い方)の存在であり五月蝿い空気の読めないカス・アカウントとして蔓延っているため古参の方であればあるほど毛嫌いされる傾向にあるが、私自身は基本的に拒絶されない限りは三枝明那のオタクのことが大好きなので、もし好意的に見て下さる場合はご一献傾けて頂きたい。

卯月コウ

前々回

に語った通り(前回分は読まないでほしい)、卯月コウこそが自分のVtuber及びにじさんじ沼の発端となった人物だ。勿論刀ピークリスマスという布石や入口はあったにせよ、卯月コウを見ることで自分のVtuberへの見解が変わったのだからこの書き方で良い。
卯月コウは世間の軍団から「教室で喋っている感覚」と評される。放課後、彼と向き合ってくだらない事をベラベラくっちゃべって時間を潰すような、と言われているのを見る。軍団のイメージは「学校でコウの言葉にのらりくらりと大喜利のような相槌を打ち、帰宅して宿題をやりながらふと耳に残った言葉を何度も反芻する自分に気づく」という感じだろうか。三枝明那のオタクがアイドルオタクの側面の強い印象である反面、卯月コウのリスナーは自らの思いをこうしてノートやツイートに長々と吐露して共感しあっている印象である。私のこのnoteに認める行為も軍団を参照したものだ。有難い。
自分の中でのコウのイメージは、どちらかというと昼休みなどに近いかもしれない。同級生や、クラスメイトに用のある先輩後輩がまばらにわいわいと騒ぐ教室で、コウを含む数人の波長が合う友達と駄弁っている時に近い。放課後ではあまりに閑散とし過ぎている。それは初期からの卯月コウの配信をリアルタイム視聴していないことが要因かもしれないが、今現在の「卯月コウとはこういう存在」をより増長させ大御所のようになった彼からは、昼休みや5分休みのような賑やかさを感じる。リスナーにワイワイやる民が増えたからかもしれない。私は数字がからきしダメなのでイメージではあるが、卯月コウの配信は同接数が増えたように感じるし、コメント欄も速く流れるようになったと思う。FANTASIAや花鳥牛月を経てラ帰雪牛は広く知れ渡り、ザク(ひば)という強烈に明るい後輩ができたことから新人たちとの絡みも増え、卯月コウはやはり大御所演歌歌手のようなVIPになりつつあると思う。今「卯月コウが好き」といいづらい風潮はあまり感じないし、言ったとて「おっ、尖ってるね〜」などという「知る人ぞ知る」感は薄くなってきたと思う。着実な地固めにより卯月スタイルの配信を作り上げる姿はやはりコンテンツ力が高い。私は三枝明那の狂いオタクであるため卯月にキャーキャーしてくびったけになることはないが、彼が剣持をコンテンツ論者としてお人形遊びをするように、私の中での卯月コウもひとつのコンテンツとして面白がって見ている。なにより自分の大好きな三枝明那が「卯月コウになりたい」(でもあの人は2人もこの世にいらない)とすら言い放った男だ。私も卯月からにじさんじにハマっていったので、三枝明那の話を聞いて勝手に肩を組んでいたことは言うまでもない。
コウはメンバーバッジが丸に星が掘られたマークである。私は最初、YouTubeのデフォルトのメンバーバッジがこれで、他の人は独自のものに差し替えているのか?と思うくらいシンプルで、月だから星、まあいいんじゃね?程度でそこまで重要視されずスルーされた産物かと思っていた。そういうところもコンテンツとして見やすいところだと思うのだ。コウは自分に金を落とせともメンバーになれとも特に言わない。好きな奴は自然にディープなところへ行く。深いところで繋がろうってやつだ。推しは推せる時に推せ、がしやすくて優しいVtuberだ。そのおおらかさが心地よい。話は変わるが、卯月コウのリスナー(軍団)のスタンスが好きだ。陰ターネットのオタクが集うそこが居心地の悪いはずがない。色々なジャンルを見て思うが、アイドルや歌い手、V系を追っているタイプのお姉様方からすると非常に難色を示される私も、軍団の「底の方のインターネット」の人たちからは話しかけてもらえることが多い。インターネットで壁打ちのできない私にとっては実は非常に嬉しいことだ。これからも嫌でなければお話しして欲しい。


不破湊

ふわっちについてはサラッと。深く書くと自分が暴走する気がする。今までの投稿にもほぼ名前はあげていないが、好きだ。ふわぐさというコンビが好きなのもメッシャーズが良いと思うのもあるが、特に関係なしにでも個人として好きだ。しかも初期の頃は「かっこいい〜♡」よりもおもしろコンテンツとして好きだった。不破湊の配信は面白い。純粋に笑える要素しかない。意味不明な造語を、まるで知っていて当たり前みたいなていで話すから、その場の皆が混乱する。していてもお構いなし。不破湊王国ではふわっちが絶対的に王者なのだ。その奔放さもカリスマ性もゲームセンスもトークもそれから見た目も三枝明那を大切な親友と捉えて彼の中で重要としているところも全部好きだ。ただ配信ペースが多く、fpsも多いため、なかなか見ることはできないが。切り抜きや雑談などはよく目にするし、面白くて笑いが止まらない。いつもありがとう。

現在手元には
三枝明那のパペット1、ぬいぐるみ2
卯月コウのぬいぐるみ1
が存在しているため、次回給料日以降はここに不破湊ぬいぐるみを1足して理想の王国を作り上げようと思う。最初から継続している三枝明那を抜かして出たり入ったりしてはいたが、3人ともこの人生で初めてスーパーチャットをしてメンバーシップに加入した過去のある人たちだ。金持ちになって全員分加入し続けられたら良いなと思いつつ、貧乏オタクにはなかなかそれは叶わない。


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