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ジェフ・ニコルズ『THE BIKERIDERS』

1965年アメリカ・シカゴ。不良とは無縁の生活を送っていたキャシー(ジョディ・カマー)が、出会いから5週間で結婚を決めた男は、喧嘩っ早くて無口なバイク乗りベニー(オースティン・バトラー)だった。 地元の荒くれ者たちを仕切るジョニー(トム・ハーディ)の側近でありながら、群れを嫌い、狂気的な一面を持つベニーの存在は異彩を放っていた。バイカ―が集まるジョニーの一味は、やがて“ヴァンダルズ”という名のモーターサイクルクラブへと発展するが、クラブの噂は瞬く間に広がり、各所に支部が立ち上がるほど急激な拡大を遂げていく。その結果、クラブ内は治安悪化に陥り、敵対クラブとの抗争が勃発。ジョニーは、自分が立ち上げたクラブがコントロール不能な状態であることに苦悩していた。 一方、バイクと暴力に明け暮れるベニーの危うさにキャシーは不安を抱え、ベニーは自分を束縛しようとするキャシーとの将来に葛藤していた。そんななか、暴走が止まらない“ヴァンダルズ”で最悪の事態が起こってしまう――。

公式サイトより

基本的なあらすじはバイカークラブの栄枯盛衰に尽きるという感じで、かなり分かりやすい映画だった。しかし個人的に興味深く感じたポイントは、その共同体の変容の要因となった“新入り”たちへの違和感に関して、外部から彼らを見ている限りは別に“古参“と“新入り“に大きな差異はなく、その差異として辛うじて認識できるのは“美学”の有無にあるという点だった。そしてその“美学”なるものの言語化し難さゆえに、この映画はプロット以上の深みを帯びているように感じられた。

恐らくジョニーは、クラブが“新入り”たちの手によってコントロール不可な状態に転がっていったという認識をもっていたと思うが、メタな目線で見ているとそうでもないというか、仲間のために酒場を全焼させたりしている時点で同じ穴の狢なわけで、クラブが狂気や暴力に呑まれていったというよりは、元々集団がに内在していた属性が皮膚を食い破って露見した、という感覚が最もピンときた。

ジョニーにとって自身の感情とクラブの存在が、もはや制御不能なものになったことを示す非常に良いショットだったように思う。

そういった意味で、ベニーの反応は一見すると最も太々しいというか、猫っぽいというか、飄々とした印象を喚起するが、実は彼が最も権力(やその濫用)について鋭敏な意識をもっており、それを忌避せずにはいられないという意味で最も力に囚われた人間だったのだろうと、逆説的に思った。

一つのクラブが内部崩壊を迎えるまでの話を、抽象化して様々な事象に当てはめることが誠実な読みなのかという点には留意が必要であると思うが、彼らの姿を最も好意的に受け取ると「仁義や絆のために既存の法やルールを超克せねばならない瞬間がある」ということであると思うし、その感覚の共有が上手くいかなかった時には、劇中のようにその論理の定義不可能性を逆手に取られて、自分たちの思想の空洞を突かれる結果に終わるわけで、これはなかなか組織論としても倫理学としても、興味深い要素を含んだ問いを提示している作品だなぁと思った。

何よりも、ラストカットに好感を抱いた。オースティン・バトラーの髪を風で揺らすあの発想、聴こえている音、その表情の全てが、彼という人間の割り切れなさみたいなものをすごく巧み(ここでの「巧み」にという言葉には、この描写に極めて「作為的」「技巧的」な印象をもったという意味も含む)に表現していて、これは上手だなぁと感心させられた。

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