バス・ドゥヴォス『ゴースト・トロピック』
終電車の中で眠ってしまった女性(ハディージャ)が徒歩で自宅に帰る一夜を描いたベルギー映画。この映画を観ていて、自分自身が終電を寝過ごして終点まで行ってしまった過去と、寒さを感じながらもう二度と通らないかもしれない道を進んでいく時の不安と高揚と解放感をない混ぜにしたような、不思議な感覚を思い出した。
この映画は一人の女性の日常に突如出現した冒険譚としても(そのチャーミングさ、愛嬌に溢れた描写の連続において)優れている。また、ブリュッセルという都市が持つ文化/歴史的背景を踏まえつつ、多民族地域に移民として生きる女性の眼差しを掬い上げた映画としても、観客に明確なイメージを共有させる訴求力がある。
この映画の冒頭には、ハディージャの感覚を観客に追体験させる印象的な仕掛けが複数仕組まれている。終電車を逃す際、電車の走行音や発車音などが徐々にフェードアウトしていき、完全な無音が訪れる。観客はハディージャの感覚が睡眠によって遮断されたこと(またその最中に電車が進み続けていること)を体験する。その睡眠が深まったことが小鳥の鳴き声を含む環境音で示され「ちょっと仕掛けとしてあざといな」と思った矢先に、ハディージャが見知らぬ通りで立ち尽くしているショットに画面が唐突に切り替わる。こうした演出の緩急が、この映画のロードムービーとしての側面をより刺激的なものにしている。
その後、夜のブリュッセルを浮遊するように進むカットが挿入されるのも巧みだと感じた。あえてハディージャから離れていくようなカットの挿入によって強調された視点の自立性は、これから街を浮遊する幽霊のようにハディージャの旅に付き添っていくのだな、ということを観客に了解させる効果がある。全編通してカメラと被写体の距離感が素晴らしく、デヴィット・ロウリーの「ゴースト・ストーリー」を想起するなどした。
夜道の徘徊の末にハディージャは様々な人に出会う。その中には夜遊びをする娘もいる。日頃自分には見せない娘の姿をハディージャは物陰から見つめ続ける。友人たちと飲酒をして、恋する相手によく見られるためにスマホのインカメで髪型を整え、恋する人が戻ってきた時に可愛いと思ってもらえる座り方まで考えているような娘の姿は微笑ましい。そしてそのような娘の微笑ましい様子を、移民としてブリュッセルに住むハディージャはどのような思いで見つめていたのだろう、ということを考える。この映画のラストカットでは、友人と海辺に遊びに来たハディージャの娘の表情が捉えられる。この表情がハディージャの労働と献身によって守られているということが恩着せがましくなく、説教くさくもなく、誇張のない愛情の結果として示されている点がとても感動的。
映画は夕闇に包まれていく部屋の様子を長回しで捉えたカットから始まり、このカットが終盤には部屋に陽光が差し込む形で円環する。特別な夜の先に日常の反復が示唆され、先述した娘の描写による次世代への祈りで本作は幕を閉じる。なんかもう感想を書けば書くほど非の打ち所がない映画だった気がする。犬の紐のくだりとかも最高だった。傑作。
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