一歩外に出ると「貝。」myストーリー①
・「私に話しかけないで・・・」
前回、ミッションについて書きましたが、
今回はそのミッション「ジブンイロ」になったきっかけとなるストーリーを書きます。
私は幼い頃、凄く人見知りな上に転勤族で2年毎にお引越し。
いつも幼稚園で先生にも同じ歳の子にも「話しかけないで。」と思っていました。汗
家では元気なんです。でも外に出ると・・・閉じた貝になってしまう。笑
何を話してどう仲良くなれるか分からなくて。
自由時間はお絵描きするばかりで、
「早く帰りたい。」と思っていて。
本当は外でのびのび遊ぶ、
友達と楽しくわいわいしている皆のようになりたかったんです。
でも無理でした。
幼稚園の楽しい思い出は…
正直ありません。(笑)
お遊戯会も、運動会も、園の日常の写真どれを見ても、
・・・どれも楽しくなさそうなつまらなさそうな顔。(;_:)
今見ても悲しくなります。(笑)
・煮詰まったモノに蓋をしたような子供時代
そんな性格は小学3~4年生くらいまで続き..
お友達は片手で数えられるほど。
休み時間に外に行くことはあまりありません。
一人で自由帳にお絵描きしている方がハラハラしないのです。
そんなおとなしい自分を外に連れ出してくれる明るい性格の友達もできて
少しづつ変わりましたが、
いつも自分がのびのびできず、何か我慢しているような感覚がありました。
幼少期からそんな感じでずっと内に秘めたものをフツフツと煮詰まらせて、
いつも蓋した状態だったので、
本当は「この思い通りいかない毎日を、自分を、変えたい!」
とずっとずっと思っていました。
本当はこんな自分は嫌なんだと・・・。
・自分を救ってくれていたこと
そんな毎日の学校生活が楽しいとは思えない過去の嫌な自分を救ってくれていたこと。
自分を認めることができたことは
「絵を描くこと」
「工作」でした。
自分が想像したように、
思った通りに、ペンやはさみを動かして
アイデアを表現していくこと。
「好き」を形にすること。
その他にもクラスのピアノ伴奏や、新聞に掲載する作文制作などは積極的に参加していました。
(人見知りだけどやりたいと思ったら手は挙げる・・・今思えばそこで自分らしさを出そうと必死だったのかもしれません。)
写生大会では特賞や入賞を獲ることができて、私のことは褒めてくれない母が唯一褒めてくれた貴重な思い出です。(笑)
こんなはずじゃない、と思い自分らしく居られない中でも
「自分の好きなことを表現する」ことで
私は家から出ると孤独に感じていた幼少期も、救われていました。
・自己表現は自分を救う!
そんな経験もあり、
自己表現は自分を救う!自分を肯定してくれる。
これがずっと私の人生の中で心の奥底にあります。
この暗い幼少期の経験がずっと「作ること」に固執し仕事に続けてきたことにも、
今、インテリアデコレーターとして信念にある
「ジブンイロ」を掲げるまず1つのきっかけのストーリーでもあるのです。
・ストレスを持った多くの人にジブンイロを届けたい
人生において毎日は楽しいばかりではありません。
思い通りいかなくて周りに合わせることも多い。
日々自分のことは後回しになってしまう、
我慢も多い、何かスッキリしない、
自分らしく生きたい、と思ってもそんな大それたことはいきなりできません。
そんなストレスを持った多くの人に
自分らしく、つまり「もっと自分の好きやお気に入りを表現した空間作り」で、
空間だけでなく、その人の自分が好きになれる、毎日をもっと愛せるようになってほしい、と思います。
自分でそんな空間づくりがわからない、そんな人のために。
私がアドバイスとコーディネート、装飾を代わってサポートし多くの人が
ジブンイロのインテリアに囲まれて「自分の毎日をもっと愛せる」ように。
補足:今の私は全く人見知りではありません!(いつからか体当たり芸人タイプに変化してしまい昔の話をするとそのギャップに驚かれるくらい・・・)笑
次回はこの幼少期を経て、更なる山あり谷ありストーリーを。
長文お読みいただいてありがとうございました!