STORY Vol.16 – TanBA 氏(プロマジシャン)
decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは、ラスベガス公演の時に衣装として着用していました。衣装は公演中に何回も着るので洗濯をするのですが、ラスベガスは日本と違って超硬水なので、衣類を洗濯するとゴワゴワになってしまいます。でも、decollouomo(デッコーロウォモ)の独自開発されたconcorde(コンコルド)素材は、ゴワゴワせず、一切変化がなかったことに驚きました。さらに、とにかくすぐ乾くし、シワにもならない。このシャツ「めっちゃ良いじゃん!」と思いました。
ステージの上は暑いのでパフォーマンス中に沢山汗をかきます。いつもは衣装がビチャビチャになって肌に張りついて気持ち悪いのですが、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツの場合は、ずっと快適でそのようなことに全然ならなかったです。もうすぐリリースされるという接触冷感を搭載した新素材「COOLIO-クーリオ」の方も楽しみですね。
今回はオーダーメイドで仕立ててもらったので、ネーム刺繍を入れてみました。衣類に自分の名前が入っているのは特別感があって良いですね。衣装を用意するとき、昔は衣装屋さんにある既製品を買ってデコレーションしていたのですが、今はデザインを持ち込んでオーダーメイドで仕立ててもらっています。そういう自分にとって特別なものだと、いつまでも大切に着たいなと思います。
Mr.マリック氏の超魔術に魅了された少年期
5歳くらいの時に祖父がマジックっぽいものを見せてくれて、それを見たときにマジックというものに興味をもちました。当時、NHKで放送していた「世界のマジック・ショー」という番組をよく観ていたことを憶えています。おもちゃ屋さんでマジックグッズを買っては、小学校でみんなに披露していました。中学の時は部活でバレーボールに熱中していたのでマジックのことはすっかり忘れていましたが、高校生になった頃、Mr.マリックさんが出演しているTV番組を観て、衝撃を受けました。それは超能力でもなく、マジックでもなく、超魔術という新しい言葉で大ブレイクしていました。「なんだこれは!?」と、どハマりしましたね。自分はマジックが好きだったんだという気持ちを思い出して再燃しまして、マジックショップでマジックグッズを買うようになりました。
当時、地元静岡のローカル番組で、お客さんにマジックを見せてくれるという変わったレストランが紹介されたことがありました。当時では珍しかったので興味が湧き、住所だけを頼りに探して訪問しました。田んぼの中の茂みにポツンとあるコテージ風のレストランで、中に入ってみると、見たことがないマジックグッズがたくさん並んでいて面白い空間が広がっていました。私はすっかり魅了されてしまい、店長さんにお願いして、バイトをさせてもらいながらマジックを色々と教わる日々を過ごしていました。
高校3年生になった頃には、大学には進学せずに就職して、プロのマジシャンを目指そうと決めました。バイト先の店長に相談し、マジック界の重鎮「渚 晴彦」さんを紹介していただいて、弟子入りしました。
ステージマジシャンになるための厳しい修行
マジックの基本スタイルは、主にテーブル上で行うクロースアップマジシャン、ステージで行うステージマジシャン、大掛かりな装置を使って人が切断されたり宙に浮いたりすることを行うイリュージョニスト、人の考えていることを当てる超能力のようなことを行うメンタリストなどがあります。
高校生の頃は、トランプを使用したテーブルマジックの方が圧倒的な不思議さがあったりして面白いと思っていたので、クロースアップマジシャンとしてやっていたのですが、師匠はステージマジシャンでイリュージョンも行う方だったので、弟子入りしてからはステージで行うマジックを教えてもらうようになり、それがだんだん楽しくなってきた。そこからステージマジシャンの方にシフトしていきました。しかし、ステージでのパフォーマンスとなるとマジックの技術以外のスキルも必要になってきて、それらを身につけるのがとても大変でした。ステージに立つにあたって、まずは立ち方や歩き方を勉強しないといけなかった。さらにダンスを習った方が良いと言われて渋々通っていました。私としては、マジシャンになりたいのに何でダンスをやらないといけないのか理由がわからなかった。本当に嫌だったですね。。
でも、今となっては当時ダンスをやっていて本当に良かったなと思います。海外のマジシャンの場合は日本人のマジシャンと違って、マジックの他に必ずと言っていいほど演劇やダンスなども勉強しているので、立ち振る舞いや表現力が全然違います。ステージでのパフォーマンス力を上げるために大切なことは、私の中では「表情」や「表現力」。とくに海外のマジシャンは身体も大きいし個性的な人が多いので、日本人のマジシャンが海外で負けないようにやっていくには、自身の内面から出すエネルギーだったり、表情だったり、表現力がとても必要でした。海外のショーだとマジックパフォーマンスだけではなく、オープニングやエンディングのときに出演者みんなで一緒に踊ったりするので、そういうところでも活きています。
マッスルミュージカルで身につけたクラウンというスタイル
師匠のもとでトータル15年師事し、厳しい修行を経て独立しました。
独立してからは営業活動に必死でしたね。イベント関係者に自分を売り込んで仕事をもらい、次も呼んでもらうために良いパフォーマンスをする。よこのつながりも大切にマジシャンの方々と交流して、イベントに誘ってもらったり、こちらのイベントに誘ったり。1つ1つの仕事をこなして地道に信用と実績を積み上げていきました。
ステージマジシャンとして転機になったのは、TBSの番組から派生した「マッスルミュージカル」という舞台がありまして、そこのメンバーに入って4年間パフォーマンスをしたとき。マジシャンは基本的に単体で90分間のショーをする人が殆どですけど、私の場合は1人で長い時間のショーをやることが得意ではありませんでした。そんな中で、マッスルミュージカルという団体の中で自分が活きるというスタイルが、自分の中でヒットしたんです。どういうことをやっていたかというと、シルク・ドゥ・ソレイユでいうところの「クラウン」というポジション。トータル90分間のショーの中で、演目と演目の間に出てきて、お客さんをいじったり、テーマに沿ったマジックをやったり、面白おかしく振舞って次の演目につなげていく役割。一切しゃべらずに、フィジカルな表現だけでやらなきゃいけないことが、すごく面白かった。在籍していた4年間の内、最初の2年間は日本国内公演でしたが、後半の2年間はラスベガス公演のメンバーにも選んで頂き、海外に出ていくきっかけになりました。
ラスベガスのステージに立つ夢を叶えるために磨いたカミソリパフォーマンス
マッスルミュージカルのラスベガス公演でラスベガスに滞在しているとき、メインストリートでやっているスーパースター達のショーを何度も観て勉強していました。ラスベガスは一流のスターだけが立てる場所だと思っていたので、今までは勉強でしか来たことがなかったのですが、2年間住んでみると、ラスベガスにも頑張ろうとしているパフォーマーがたくさんいて、そういう人たちが小さな劇場で鎬を削っているというか技を磨いていることがわかりました。ラスベガスには、こういう人たちもいるんだなと思いながら小さな劇場のショーも観てまわっていました。
その中に面白いショーがあったんです。その人にしかできない10分間のアクトを融合したバラエティーショー。各アクトの間には、下ネタトークやお客さんをいじって笑わせるコメディアンの人がいて。そのコメディアンの人が「俺が超すごい奴らを連れてきたから、おまえらしっかり見ろ!」みたいな感じでショーが始まって、色々なパフォーマーが出てきては、その人にしかできないパフォーマンスでお客さんをドッカンドッカン沸かせる。お客さんは最初から最後まで驚きっぱなし。
それを観た時、私もスペシャルなアクトをつくれば、こういうショーに出られるかもしれない。ラスベガスのステージに立つことは夢のまた夢ではなく、意外と手が届かないことじゃないなと思いました。
早速、どんなパフォーマンスをやろうかと考えていた時、アメリカの友人が小さい劇場でカミソリを食べるマジックをやっているのを観たんです。カミソリを食べるマジックって古典的なマジックで昔からあるんですよ。そういえばこのマジックあったな。日本人でやっている人は見たことないなと思って。私の記憶では過去日本人でやっていた人は1人いたくらい。これは面白そうだと思って、その友人からベーシックなやり方を教わりました。そのあとは自分のスタイルを作り出すために練習の繰り返し。ある日いつものように練習をしていると、黒人の若いお兄ちゃん達が4~5人寄ってきて「何やってるの?」って声をかけてきた。「カミソリを食べる練習をしているんだよね。」って言いながら実際にカミソリを食べたら、「ギャー!」って叫んで逃げて行ったんですよ。
その反応を見たときに、やっぱりそういう感情になるんだなと思って面白くなり、更に練習を重ねて自分オリジナルのアクトを作り上げました。
オーディションTV番組『Britain’s Got Talent』出演で一躍注目マジシャンに
カミソリのパフォーマンスは2011年頃からスタートしたのですが、最初から順調だったわけではなく藻掻いていた時期もありました。観光ビザでアメリカに行って、滞在できる3ヶ月間の間に色々なオーディションを受けたりしていたんですけど、うんともすんともで。一番のネックはビザの問題でしたね。中には面白がってくれた人もいたのですが、結局ビザの問題で採用とはいきませんでした。
その中でオーディションTV番組『Britain’s Got Talent』にも何度も応募していたのですが、2016年の夏になったときにやっと合格の連絡がきて、2017年1月に収録しました。あの時は、『Britain’s Got Talent』に出演できるということが嬉しすぎて嬉しすぎて、劇場入りした朝から一日中ずっとニヤニヤしていました。このステージでパフォーマンスができるということが嬉しかったので、その時はTV番組で放送されるか、されないかは気にしていなかったですね。放送される場合は放送の1週間前に連絡がくると説明されていたのですが、実際に放送が始まって1週、2週、3週と連絡がなくて、、やっぱり駄目かなと思っていたら、翌週に放送決定の連絡があって。
放送を観た誰かが私とコンタクトがとりたい時に連絡ができるようにと、放送までの1週間で急いでHPをつくりました。そして、放送された途端、今までオーディションを受けてきてうんともすんとも連絡がなかったところやその他色々な方々からオファーを頂けるようになって。放送されたことがとてもラッキーでしたね。それからは1つ1つのオファーに全力で答えながら経験を積み重ねて、今では国内外の様々な方からオファーをいただけるようになりました。
個性を大切に追求しよう。そして、自信をもって堂々と生きよう!
昔の私は、格好良いマジシャンを見て、格好良いマジシャンに憧れて、格好つけてやってきたんですよ。内面では「本当はコメディーの方が好きなんだけどな。」と思いながらもそうやっていました。どうやって変えればいいのかわからないし、急にスタイルを変えて仕事が無くなったらどうしようとか、不安もあって。
セロさんが出てきたときに、マジシャン=格好良いみたいなブランドイメージを彼がつくってくれて。その時マジシャンがすごく増えたんですよ。それまでは、マジシャンと言えば演芸スタイルのように赤とか黄色とかの派手な衣装だったのが、シックでカジュアルな衣装にかわっていって、格好良い系統のマジシャンが増えていきました。どうやって個性を生みだしたらよいかわからず悩んでいた時期は、私も同様にやっていましたが、結局はみんなと同じことをやっていても駄目。それに気がついてからはコメディーにシフトして、マッスルミュージカルや海外での経験を経て独自のスタイルをみつけることができました。
私が皆さんに言えることは、個性を大切に追求してほしい。海外の人を見ていて思うことは、本当に自由に生きているなということ。ルックスやコンプレックスなどに関係なく、1人1人が自信をもって堂々と生きている。初めてそういう人を目の当たりにしたときに、私は衝撃を受けました。「まだ何もやってないな。まだ何もやれていないな。」と。自分が気づかないところで、まだどこかで格好つけていたんですよ。そうやって縮こまっていないで、もっと自分をさらけ出そうと。それに気がついて意識した時から、私は変わっていくことができました。