釣り人語源考 カレイ
「鰈」の語源は諸説俗説が混ざって難しい。
古代では「ヒラメ」と区別せず、平らな魚はそろって「平目」であった。
そこから、小型で雑食性で口が小さくちょいと岸から釣れる、美味しい平らな魚を「かれい」と名付けたのは、どういう経緯なのだろう。
さて『本草和名』(918年 延喜18年 深根輔仁編纂)に、「鰈は加良衣比(カラエヒ)」と読む、とある。
これが訛って「かれい」と呼ばれるようになった。
また『倭名類聚抄』(931~938年 承平年間 源順編纂)には、
「王余魚」
「和名はカラエヒ。俗にいうカレヒ」
「昔、越王が魚をナマスに調理して、余った半身を捨てたところ、その半身が泳ぎだしカレイになった。だから王余魚という名前だ。」
しかしよく調べると、この「王余魚」は「しらうお」のことであり、「細く切った刺身を捨てると、半透明で目玉が目立つ小さな”銀魚”という川魚になった」という誕生伝説であった。
では和名の「からえひ」の語源はなんだろう。
一説によると「カラは(韓)、またはカレ(枯)でエヒは(鱏エイ)である。カレイはエイの仲間であるとされた。朝鮮半島でよくカレイが獲れた、または”旨い”の枕詞が”韓(から)”であるから」とある。
エイの仲間?ちょっと待って!
昔とはいえ、いくらなんでもカレイとエイを同類とはしないだろう。
しかも韓国で良く獲れたからとも言われている。それも無い。
日本列島津々浦々、カレイは色んな種類が生息し、どこでもよく獲れた庶民の魚である。
また「韓鋤」や「句禮能摩差比」のように『日本書紀』に出てくる剣は、歌会で「海外製のよく切れる剣」と臣下の頼もしい武力を喩えたもので、「から」は「漢・加羅・唐・韓」で「くれ」は「呉・句麗」であって「海外」という意味である。特定の地域を指すものではない。
「うま差比」の「うま」は「巧い」のうまだ。
一般的に言われるこの説は間違っている。
やはりカレイの「かれ」は古書が伝える通り、「枯れ」が正しいと思う。
「枯れ衣比」ということだ。
では「衣比」とは何だろう。
「カレイ」という名前は全国で通用し、地方名がほとんど無い。
またその由来が不明である。
カレイは干物に加工して保存がしやすく、数も揃い漁業として成り立つ。
これらの特徴は、筆者の説で「奈良時代の調(海産物による納税)の為に命名された魚」だろう。
都会人はとにかく魚の名前は分からない。
しかし国の制度が始まったのでとりあえず魚に名前が必要だったはずだ。
奈良時代に貴族や役人で流行した「物品」に擬えて命名されたので、庶民にはいまいちピンとこない名前であるのだ。
えひ(衣比)と「衣」の漢字が使われているので、奈良時代の衣服関連の古語を調べると、「えひかう(衣被香・裛衣香)」という物がある。
これは「栴檀」の香木を和紙に包み、衣服に挟んで収納して服に香りを付ける方法をいう。
ちなみに現在でいう「センダン」の木ではなくインド原産の「ビャクダン」の木が本物である。
奈良時代は非常に盛んに唐と貿易を行い、シルクロードを通じて世界中の珍品財宝がどんどん輸入された。
そしてまだ当時は、珍しい動植物や宝石鉱石が世界中に繫栄し残されていたのだ。
ビャクダンは葉や樹皮は匂わず芯材が匂う。
香木へ加工し製品にする時、心木のままの「長木」、小さく刻んである「刻」や「爪」、四角に切ってある「角割」、そして「切葉」という製品名がある。
「白檀切葉」は見た目は葉に似ているが葉っぱではなく生の幹を薄くスライスし乾燥された物をいう。
茶色で葉っぱの様な薄い香木。
とても「魚のカレイ」の干物にそっくりだと思う。
おそらく衣被香を何年も使い、すっかり香りがしなくなった物を「空衣被香・枯れ衣被香(からえひかう・かれえいかう)」と言ったのではないか。
そして地方から送られてきた、平らで茶色のカレイの干物を見て、カラカラになってしまった「枯れ衣比」と名付けたのではないだろうか。
平安時代になると貿易は制限され、香料の原料である「栴檀」や「沈香」「麝香」「乳香」などは既に乱獲で少なくなって超貴重品となっていた。
もう栴檀の「切葉」を衣被香することは、贅沢過ぎて皆が出来なくなり廃れていった。
平安貴族たちはその権威と個性を発揮するため、貴重な香料を粉に挽き、オリジナル配合して蜂蜜などと練り合わせ、「練香」を手作りした。
練香は「香炉」に専用の炭と熱灰の上に置き、熱して香りを焚く。
そして季節やTPO、自分を象徴する香りを作り出すことによって教養と地位と財力…「権威」をつくりだしたのだった。
「薫物」と呼ばれるこの香り文化は『源氏物語』の後半の主人公「薫と匂宮」の物語に深く描かれる。
生まれつきのとても心地よい芳香を身体に持つ「薫」と、彼を気にして対抗心から常日頃に練香を調合し薫物を衣服に焚き染め匂わせる「匂宮」。
彼らは無常の精神と弱い心、そして幼い対抗心によって、さまざまな女性を不幸に落としたまま物語は終わる。
中世の日本で花開いた「香り文化」。
室町時代に「香道」として形成され現代の日本に伝わっている。
「カレイ」という庶民の魚は、ほんの少しその奈良時代の「残り香」を漂わしているのだ。