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釣り人語源考 コロダイ・コショウダイ名前取り違え疑惑
『水族志』は全く偶然に再発見された。
のちに大蔵省国債局長などを務めた宍戸昌は、植物学者伊藤圭介、田中芳男等と親しかった関係から本草書などを広く収集する人物だった。
明治10年、東京の古書屋でたまたま手に取った原稿が『水族志』の稿であった。その時は著者名「紀藩源伴存」とだけ記載され、宍戸はその人物を全く判然できなかった。
翌年大阪に出向き、源伴存の弟子でアマチュア学者であった堀田龍之介と会い、その時はじめて源伴存(畔田 翠山)のことを知ることとなり、田中芳男の勧めで『水族志』の出版となったのだった。
畔田翠山は寛政4年(1792年)、和歌山藩の下級武士の子であった。
しかし彼は後に「日本初の博物学者」とも称されることとなる天才であった。
わずか家禄20石の身分であったが幼い頃より学問を修め、藩主徳川治宝に博識を認められて藩医や薬草園の管理の任をつとめた。
園の管理の傍ら、本草家山本榕室との交流や商人で歌人の雑賀屋安田長穂の援助によって、翠山の才能が開花する。
膨大な知識量、緻密かつ想像もできない距離のフィールドワーク、確かな文献調査によって、25部以上・約290巻にも及ぶ多数の著作を著した。
しかも量だけではなく、日本初の標本作成などその現地調査の質や論理的考証はそれまでの本草家を軽く凌駕し現代の博物学に匹敵する。
世界に先駆けて、天才博物学者は既に江戸時代に存在していた。
しかし彼の業績は明治の時代まで忘れ去られていた。
生前に出版された書籍はわずか一冊
安政6年(1859年)、翠山は調査中の熊野山中で突然たおれ、そのまま客死となる。
実子は業績を継がず、家系は断絶し、弟子は学問を専攻せずに、翠山の著作は公刊されることは無かった。
筆者は『水族志』なんて全く知らなかった。
ぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」の魚名語源で時々「水族志」と書かれてあり、「ふ~~ん」と思っただけ。
その後、薮野直史先生の「鬼火ブログ」で『水族志』の現代語訳を進めていると知る。
そこで「あれ?ちょっと魚名が合わないな?」と感じて自分でも少し魚名を比定してみようとやってみたのがブラックホールの入り口だった。
さて「釣り人語源考 古文書の魚名」で扱った「コロダイ・コショウダイ」の仲間の比定結果が、自分でも少し信じられない事となった。
改めて今回、別のトピックとしてまとめてみようと思う。
最初は『大和本草』の諸品図の比定からであった。
『大和本草諸品図』(正徳5年 1715年)は貝原益軒が編纂した『大和本草』(宝永6年 1709年)の図録だ。
これの下巻の14ページに4種が載っている。
このうち「宝蔵鯛」と「久鯛」を比定しよう。
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「寶藏鯛」の説明によると「宝蔵とは、田舎の人が火打石を腰に帯びる時に使う袋のこと」で、その口が宝蔵袋の口にそっくりだから。と言っている。
いわゆる「火打袋」とは「火口箱」や携帯品などをセットで持ち運ぶ袋で、後の「巾着袋」の元となったものだ。
「火口箱」には「瑪瑙」や「玉髄」などの火打石と、鉄の板片が木片に埋め込まれた「火打ち鎌」、硫黄やモグサなど「火口」を入れる。
火打石には、前述の瑪瑙や玉髄のような宝石の部類と、石英や火山性変成岩などの安物があって、高級品は硬度が高いので削れにくく火花の温度も高いので着火しやすい。しかし値段もビックリ価格だ。
雨などで濡れては着火が大変なので、高級な火打石の袋は革製品である。
布製ならば巾着で絞れば口は閉じるが、若干開くし、紐が解ければ落ちるし、片手で扱えないので少々不便だ。
なので宝蔵袋の口は、革製でも金属の弾力でしっかりと閉まる構造で片手で開閉可能、解けずひっくり返しても絶対中身が落ちない、「がま口」の元となった「破片口金」を使っている。現在では「バネ口金」とも言う。
筆者はタバコを吸わないので知らないが、携帯灰皿がこのバネ口金を使用しているとの事。
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革製で口金を貼り付けたものは中身が落ちない
魚類の中でクチビルが最も分厚いとされる「コロダイ」が本種だろう。
口を開いても歯が見えないくらいクチビルが厚い。
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「久鯛」の説明を読むと、「形状はタイ型で、黒点が多い。全体に淡い色。味はとても良い。時に斜めに紋が三、四條の物が有り。」
コロダイの仲間のような配置だろうし、文章や図から推測すると、おそらく「コショウダイ」だろう。
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小型は黒い條がハッキリでる
『水族志』(畔田翠山) の12番「ホウザウダヒ」の記述だが、ほぼ全文が『大和本草』の「寶藏鯛」の引用である。
なので水族志の「ホウザウダヒ」は「コロダイ」で確定であるとする。
すると、コロダイに似た別種イとロが記述してあるので比定していこう。
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別種イ 「形状はコロダイ似て細長く、頭は短く円く、クチは小さくタカノハダイのようで、口の中は赤い。身体は薄く、色は淡青黒色にわずかに淡い紅色をおびる。…中略…尾ビレには黒点、背ビレは連続して尾ビレ付近まであって、黒点がある。」
コロダイの仲間として、この魚の最大の特徴は「口の中が赤い」とあるので「アジアコショウダイ」で確定だ。
口内や、唇の折り畳みの皮の奥、エラのヒダの奥などが赤い。黒点の様子も説明と相違がない。
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別種ロ 「(コロダイ)と同形で、尾ビレに黒点があり、黒く太い斜文が、背に一条、眼の後ろから尾にまた一条、その下に一条ある。…略。」
尾ビレに黒点があり、ナナメに黒帯が3本だと説明があり、「コショウダイ」と思われる…
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『水族志』の23番「コセウダヒ」の比定をやっていこう。
『大和本草』の「久鯛」と水族志の「コロダヒに似た別種ロ」が「コショウダイ」と比定し確定したので、「コセウダヒ」はなんぞやとなるだろう。
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前半は地方名の列挙
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コセウダヒの地方名を見ると、魚種はすぐにピンと分かるが、念のため形状を説明した後半文も検証しよう。
「身体は薄く、口は細い。唇は淡い紅色。背は淡い青色から黄色をおびて、背から腹に向かって5〜6の淡黒の條があり腹は白い。ウロコは細かく、乾くと紙のようになる。背ビレのトゲは大きくて、陰陽のように黒と黄。各ヒレは黄色と黒色で、尾ビレは元が黄色で端は黒い。尾は刀のように曲状だ。」
これはとても素晴らしい説明!!
魚の特徴がよく表されている。
この「コセウダヒ」とは「セトダイ」だ。
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セトダイの異名はとても多く、淡路島の漁師さんの話では「ビングシもタモリもコセウダヒも同じ魚なり」だって。
江戸時代では、地方名は各地で色んな魚が色んな名前で交雑している状況であるので、「コセウダヒ」や「コロダヒ」だといって、それが標準和名の「コショウダイ」「コロダイ」に即比定終了とはならない。
標準和名とは単純に、明治から昭和にかけて魚類学者が名付けただけの名前なのだ。
では「コセウ」の語源はなんだろうか。
歴史的な仮名遣いや、田中茂穂先生が付けたコショウダイの漢字表記は「胡椒」である。
現在、「胡椒はどうも魚の姿に合わない。"小姓"ではないか」という非常に有力な説が出ている。
しかし「セトダイ」がコセウダヒだと比定されたとなると、コセウはやはり胡椒かもしれない。小姓の仮名遣いは「こしやう」であり少し違う。
胡椒には「黒胡椒」と「白胡椒」の2種類が主に利用されていて、果実が未熟の緑色のまま収穫し、乾燥加工した物が黒胡椒。
完熟して赤くなった果実を収穫し、水に浸けて発酵させ果肉を除去した後、乾燥加工した物が白胡椒である。
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江戸時代では大量に胡椒を輸入し、さまざまな料理に使用していたことが当時の料理本など記録が残っていて、「黒色と黄色」(白胡椒は黄白色)というコントラストを表現するのは「胡椒」だったと思われる。
結論は、「コセウダヒ」=「胡椒鯛」= セトダイだった。
『水族志』の19番「コロダヒ」を調査していこう。
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『大和本草』でいうところの「久ダヒ」を、『水族誌』では「コロダヒ」であるとしている。
筆者の私は、この久ダヒ・コロダヒは、現代での標準和名「コショウダイ」に以前から比定している。
そして幼魚は、伊勢で「トシヲトコ」と呼んでいるようだ。
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とりあえずコロダヒの検証は後回しにして、「サンセウダヒ」を見てみよう。
名前は「山椒鯛」の歴史的仮名遣いだろう。しかしサンショウダイは聞いたことがない。
しかも「サンセウイヲ」となると「サンショウウオ」となって両生類だ。
おそらくこのことが原因で、近代の魚学者に見落とされたのだろうと推察する。
「サンセウダヒは、大きさ30㎝ほど。形状はコロダヒと同じ。
背は淡青色にして、淡い紅色を混ぜた金色に輝いている。
赤を帯びた淡い黒色の斑が、第一背ビレの下にある。
金色の下から腹の間は淡い藍色で、腹は白く青を帯びる。」
「眼の上は黒、下は淡い青。頬、および眼の上、唇の上に黒斑あって、唇より眼に至って一筋の藍色が通る。」
「頭の上から胸ビレに至り、尾ビレの前までおよぶ、腹を堺いにする黒き大斑あり。
第一背ビレの前部から尾上に至り、ナナメにデカい黒斑あり。
尾筒の下に黒斑あり。」
「尾びれは、淡黒色に黄色をおびて、もとに黒斑あり。
尻ビレは黒くて中ほどに淡い藍色がある。尻ビレの付け根から腹にかけ黒斑あり。
第一背ビレは淡い黄色で淡い黒斑、第二背ビレは黒色でわずかに黄色を帯びる。
胸ビレは上が黒く下は淡い黒。腹ビレは淡い藍色で淡黒色を帯びる。」
「口先は細い。」
身体の色や模様から推察すると、「サンセウダヒ」は標準和名「ヒゲソリダイ」だろう。
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このサンセウダヒに続いて記述が続いている。
「大和本草が言う、"別種のヒサノ魚"は、黒くてフナの形に似ている。
タテスジがあって、色は(体色と)濃淡が混じるだけ。
口先は細く、背が輝いている。味はとても良い。
すなわちこの魚の事だ。」
この「別種ヒサノ魚」は黒くてフナの形状で味が良いと言う事なので、「ヒゲダイ」と比定。
ヒゲソリダイの仲間だと畔田翠山先生は考えて、この別種ヒサノ魚をサンセウダヒに書き込んだのだろう。さすがです。
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近年、美味い事で有名になってきた
確かにフナの形だし、ヒゲダイ・ヒゲソリダイは口先は(他のコショウダイと比べて)細くなっている。
「黒い久鯛」・「黒いサンセウダヒ」はヒゲダイの事だった。
ところで前述で、『水族志』の12番「ホウザウダヒ」は『大和本草』の「宝蔵鯛」の記述をそのまま書いてあるとして、「ホウザウダヒ = 宝蔵鯛 = 標準和名コロダイ」とした。
そして「ホウザウダヒ別種ロ」を記述から「標準和名コショウダイ」に比定した。
しかし、『水族志』において「コロダヒ」と「ホウザウダヒ別種ロ」が同じ魚種になってしまう。
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「別種ロ」をよく読むと「コロダヒはこの魚より身が短く厚い。また味はこの魚より勝っている。」と言う。
コショウダイよりヒゲソリダイの方が、味が良くて体高がより高いので、記述内容から「水族志コロダヒ」は「ヒゲソリダイの黒色タイプ」だと思われる。
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これでコロダイコショウダイの仲間の大体の比定が完了した。
まったく名前が入り乱れている状況なので、とりあえず一覧表を作ってみた。
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果たしてこのイサキ科の仲間たちの標準和名はいったいどういう経緯で付けられたのか…
また現代で調査されたコロダイ・コショウダイの仲間の地方名も、ちょっと信頼が出来ない状況だと思われる。
子供の時から図鑑などで標準和名に慣れ親しんだ世代に取材した、とある地方名が「コロダイ」「コショウダイ」「セトダイ」のいずれかを指すのか全く不明となっている。
しかしなんとか地方名も調べてみよう。
コロダイ・コショウダイ類は、現代の地方名で混同されているとされる。
コロダイの地方名にコショウダイがあったり、また逆にコショウダイをコロダイと呼ぶ地方がある状況だ。
この原因が、標準和名を命名する際での「名前の取違い」に起因するのかもしれない。
近代の魚類学者は水族志の魚名を知らずに独自に魚名を採取研究して、結果的に間違ってしまったようだ。
『大和本草』における「久ダヒ・ヒサノ魚」は「標準和名コショウダイ」か「ヒゲソリダイ黒色タイプ」を指している。
大和本草の図録では黒点が描かれているので標準和名コショウダイでほぼ間違いないと思うが、水族志では「ヒサノ魚のほうがコロダヒより体高がある」と記述している。
おそらく時代の変化で江戸時代初期では「久ダヒ」の名称だけで2種は区別していなかったが、江戸時代末期ごろになると「コロダヒ」の名前が紀州地方名から採用されて広まり、「コロダヒ = 標準和名コショウダイ」、「ヒサノ魚 = ヒゲソリダイ黒色タイプ」と分類が進んだのではないか。
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「久ダヒ・ヒサノ魚」の語源として、その”模様”から命名されたのではないか。
標準和名コショウダイもヒゲソリダイ黒色も、「黒い巨大な條斑」がその特徴だ。
そしてその形が、漢字の「久」となっているのだ。
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根拠として「カワビシャ」の模様が「川」の文字だから…
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「コロダヒ」の「コロ」は紀伊半島でのイノシシの幼獣の呼び方であるとされる。
漢字で書くと「葫蘆」で、ユウガオの事だ。
現代ではユウガオはほぼ干瓢に加工されるが、昔はかなり常食される野菜であった。
ユウガオは瓢箪の選抜種である。同一種。
人類最古の栽培種であるヒョウタンが、アフリカで育成される。ヒョウタンはククルビタシンが大量に含まれ有毒であり、用途は水を入れる容器への加工だった。
しかしインドで食用として苦味の無い系統が選抜されてユウガオとなる。
現代では縞模様のユウガオは現存していないが、ウリの甘みの少ない在来種では縞模様の品種が残っている。
まくわ瓜やシロウリは甘くてフルーツとして食べるが、縞模様は無くなっている。
「ウリ坊」が全国的なイノシシの子供の呼び名だ。
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「標準和名コロダイ」の模様は赤茶色の水玉模様で全くシマシマではない。
なので「コロダイの幼魚の模様」を根拠にイノシシの子供と似ているから、と説明されている。
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しかし、同じように「ウリ坊」と呼ばれている「イサキ」は大人になってもウリ坊とは呼ばれない。
他の出世魚でも成魚と幼魚で名前は使い分けされている。
標準和名コロダイだけ幼魚の模様が由来なのか、全く疑問でしかない。
やはり「水族志コロダヒ」は「標準和名コショウダイ」の太い黒スジをイノシシの子供と見立てているのではないだろうか。
やはりコロダヒ = 標準和名コショウダイ説が正しいと思う。
『水族志』の魚名のうち、コロダイ・コショウダイの仲間を調査してみたところ、記述は非常に正確で、地方名も豊富に採用していて分かりやすい。
名前と魚体の特徴が一致していて、語源学考証においても正確だ。
江戸時代後期の紀伊半島での魚名は、『水族志』の記述が正しく、現代の標準和名のほうが間違っていると断言する。
一方で非常に困惑している。
いったい誰に相談すればいいのか分からない。
『水族志』には私には比定不能な謎の魚名がたくさん残っている。そしてまだまだ読んでいない部分も多い。
皆さんも『水族志』を調査していただきたい。