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等身大の名前

自分のことは案外わかってないし、その割によく見せようとしてしまう。

私は基本「だいだい」た。O型の血が濃いということでまとめてしまいたいが、まぁ大雑把だ。周りの友達はB型やA型が多く、みんなきちんとしているからいつも大体すぎると怒られる。

でもそんな性格を嫌いなわけではなく、よく言えば超ポジティブなのでくじけることがない所が好きな所だ。

けれど今回は少しだけくじけた。というか反省した。

振り返ったり、自分の気づきや考えを掘り下げていくことしてなかったなと思った。だから自分のことがわからない。でも、良く見せたい。

「転ぶ勇気」

そんな時、阿部愛美さん言葉が深く響く。

「そうそう、そういうことだよね。」とうなづける。腑に落ちるということはそういった経験を阿部さん自身もしていて、その時のことをすごく考えて、悩んだからメッセージとして強くなるんだなと感じた。

名付けは生命を与える。

もやもやしていた感情にも名付けることで「そういうことだったんだ」と納得できるから安心感が生まれる。

話はずれてしまうかもしれないが「ギャル」とか「アムラー」とかも自分が名乗ることで周りから自分がそう見られたいという願望とそうよばれることに自分のアイデンティティを認められたような安心感と人と共感しているという自己認識への欲求が満たされているのかもしれない。

ということは自分をよく見せてしまう現象もうまく名付けてあげたら、なんとなく良い気分になりそうだ。




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