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過去を記録することは今と比較すること


いつぶりかっていうぐらいに早朝に目が覚めて
アイスコーヒー片手にキーボードを叩き始めました。

基本夜型人間で、変えようと努力した時期も
ありましたが今はもうやめました。(笑)
自分分析したり、“気持ち”にフォーカスする癖が
ついた分、諦めも早くなりました。

それについても近々まとめたいなと
思っています。

さて、今日はいよいよ次男の入学式です。
事前打ちあわせも予行練習も
昨日全て終えました。

担任の先生とも事前顔合わせの時間を
設けていただき、特性の中を改めて
直接伝える時間も設けていただきました。

子よりもドキドキと
不安で押しつぶされそうな私ですが
「学校生活楽しんでこーい!」と、
ドンと構えた“ママ”を
演じなければいけません。

不安ってほんと、
凸凹発達にはテレパシーのように
届いてしまうんですよね。

長男も今月から始まる新たな
“チャレンジ”のために
療育場所の調整の話し合いもあり、
バタバタな1日でした。

その待ち時間にInstagramを開くとふと、
“思い出”のマークが。

何気なく開いて見ていくと、
4年前のストーリーが次々と表示されていきます。

ああ、こんな時期あったなあ。2人とも小さいなあ。

小さい我が子の可愛さ、懐かしさと同時に
その時のしんどさや辛さ、
孤独が走馬灯のように
鮮明に思い出されました。

まだ診断も何もなかったあの頃。
毎日我が子に向き合い、まだまだ不慣れな
年子育児に追われて、仕事に復帰したばかりの
日常が、たくさん散らばっていました。

個人的に日記をつけるのは大好きですが、
写真はどうしてもイマイチすきになれません。

その理由は
記憶が鮮明に掘り起こされるからです。

いい記憶も悪い記憶も全て、
匂いやその時によく聞いてた歌などが
今起こったことのように」
鮮明に思い出されてしまうのです。

そこには
子供達を一生懸命育ててきた歴史
たくさん詰まっていました。

育児ノイローゼになっていた日々も、
熱ばかり出して連日会社へ謝りの電話を
入れては罪悪感と疎外感と戦っていた日々。

当時ほとんど言葉を発さない長男の
癇癪に向き合い、手立てが分からなくて
夜な夜な泣きじゃくった日々が残されてしました。

こうして「過去」を見返すと
何も進んでいないような、
成長を感じられない瞬間が
日常にある凸凹育児の中でも

ちゃんとそこには小さな成長の積み重ねが
記録されていて、
初めて写真で記憶を残すことの
意味を目的を、感じられました。


あれだけ話せなかった長男には今、
二語文からちゃんと「自分の気持ち」を
付随して話すことができています。

あれだけ毎週のように熱を出しては、
病院のはしごを繰り返していた日々も今は
年に数回になりました。

ちゃんと、子供たちのペースで
我が家のペースで前に進んでいて
ちゃんと“成長”している証が今なんだーー。
そう思えた瞬間でした。

過去と比較するからこそ
今を認めたり、考えたり、錯誤したり
できるんだろうなと思います。

比較するって何だか今の世の中では
いいイメージがないもので
個人的にも人や環境、
ものと比較することは好きではありません。

が、比較しないことも難しいことだと思っています。

周りと比べて落ち込んだからこそ
極めた道があり、それがいつしか人生の目標になって
過去の自分と比較しながら自信をつけていく。

きっと、そのために過去があり
文字で、画像で、記憶で、動画で記録していく習慣
が時代が流れて変化していても、
残り続けるのではないでしょうか。

そんな風に、自分の中で物事の原理が
腑に落ちた瞬間がそのInstagramの
ストーリーで過去を振り返る、でした。

こうして今、ここに書き留めている内容も
何年か後にはきっと、

過去を振り返るための自分の
誰かの“キッカケ”になっているのでしょう。



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