発達障害の理解が広がるように、世間が早く追いついてほしい
「生まれてくる時代が早かったかも」
発達障害があることに気づかないまま、大人になってしまった当事者として、ふと感じることがあります。
ADHDで多動な子だった私。当時はADHDなんて言葉は、ほとんど知られていません。小学校では脱走を繰り返し、遅刻はもはや常習犯。世間からは落ち着きのない子だと、レッテルを貼られてばかりいたけれど……もう少し後に生まれていたら、多動は脳の特性ゆえと認められて、すくすく育つことができたかもしれない……
私は世間に追いつめられるように生きてきました。でも本当は、世間のほうが追いついていなかったのかも……そう気づいたエピソードを紹介します。
発達支援に励む企業からの言葉
私は6月に本を上梓しました。発達障害のある当事者として、コミュニケーションについて書いた本です。この本を無料でプレゼントするキャンペーンを開始したところ、ありがたくも応募してくださる企業が現れました。
たすく株式会社さま。
発達障害がある幼児から成人まで、支援している会社です。
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ご担当者さまからいただいたメールを拝見して、ハッとしました。私自身が世間から追いつめられていた小学生時代を、思い出したからです。
世間とは?…時代遅れで閉鎖的・排他的
「世間」の歴史を紐解けば、日本の江戸時代までの村に行き着くと言われています。旧来的な在り方だから、そもそも時代遅れなんですよね。
村民は同じ価値観を持ち、狭い土地で結束するのが当たり前。暗黙の掟がそこにあって、それを破る人は村八分にされてしまいます。
この「世間」の空気は、令和においても至るところに息づいています。
小学校の教室で。
しがらみの多い会社で。
表面的な仲間との付き合いで。
足並み外れたことをすると、陰口を叩かれて、知らず知らずのうちに爪はじきにされる。ちょっと怖いですよね。
特に発達障害のある人は、規格外の人が多いです。凸凹症候群と呼ばれるくらい、得意・不得意の差が激しいからです。だから、どうしても世間からはみ出してしまいがち。私も当事者として、嫌というほど身に覚えがあります。
「みんな同じ」から「みんな違っていい」時代へ
「世間」という在り方は、次第に行きづまってきていると思います。理由のひとつとして、発達障害をはじめとした少数派の人たちが、クローズアップされつつあるからです。
「世間」は、少数派をふるいにかけて存在していました。でも、少数派が増えてしまうと、その網目に誰も残らなくなってしまいます。
たとえば、2022年の文部科学省の調査によると、発達障害の可能性がある小学生の割合は10.4%。1クラス35人中3~4人は、当事者として悩みを抱えている計算になります。当事者が単純に増えたというよりも、気づかれるようになったのかもしれませんが。それだけ沢山の子どもたちを見捨てていたら、教育として成り立ちません。
「みんな同じでなければならない」から、「みんな違ってみんないい」という価値観にシフトしているのが、今の時代と言えるでしょう。
まとめ
早く生まれすぎてしまって、世間から追いつめられるように生きてきた当事者として、たすく株式会社のご担当者さまの言葉には共感します。
私自身も発達障害の理解が広がるように、自らの言葉を発信していきたいです。
【参考図書】
鴻上尚史さんの「世間」と「社会」を考察する文章は、一見の価値ありです! こちらの本はコミュニケーション・ガイドとしても、非常におすすめ。
【お知らせ】
※私の本の詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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