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共働き助産師の保育園送迎

こんにちは、ぶきっちょ助産師です。鈍臭く、不器用ながら、日々一生懸命に家事、育児、仕事に勤しんでおります。

わが家には3人子どもがおります。1人、2人、3人と増えていくたびに、保育園の送迎の仕方は変化していきました。

関連の記事はこちら⬇️にもありますので、良かったら読んでください。

そして、本編の前に【わが家の家族構成】をご紹介。
⚫︎私:生き方も考え方も行動も鈍臭く、ぶきっちょな助産師。マジメにコツコツ派。自然派志向。ネガティブに悩みまくった後、急にポジティブな思考に切り替わる瞬間があり、そのゾーンに入ればどこまでも前向きにがんばれる。
⚫︎夫:妻のネガティブ小言に付き合わされているが根っからの自分軸思考で、妻に惑わされることはない。なので私に足りないところを補ってくれているありがたい人🙏
⚫︎ハカセ:第一子、長男、2006年生まれ、中学校時代に不登校歴あり、ぶれない自分軸のマイペース男子、動き出したら止まらず、止まったらもう動かない。本人はコミュ障なのに不思議と人を惹きつける魅力があり周りからちょっかいを出されやすくて悩んでいる。
⚫︎ピョン吉:第二子、次男、2008年生まれ、2つ違いの兄と同じ日を選んで生まれてきた。子どもの時から生まれてきたことが楽しくて仕方ない表現をする子。友達多い派、ゲームや読書が大好きなインドア野球部員。
⚫︎姫どん:第三子、長女、2011年生まれ、思春期だからか?いろんなことが気になるらしく、常に悩んでいる。親の言うことは聞かず、反抗的な割に独り言のように相談してくるかまってちゃん。

子どもがハカセ1人の時
産後10ヶ月で総合病院Aに職場復帰しました。保育園までは車で15分ほどの距離でしたが、育児時間をもらっていたので、ゆっくり出勤できました。そのため、自宅ー保育園ー職場間を私が車で送り迎えしていました。
一才を過ぎて、ちょっとしっかりしてきたかなー、てことで自転車での送迎にチャレンジ!

ところが、
自転車に座るのがイーヤーダー!

とのけ反って嫌がるハカセ。
仕方なくもうしばらく自動車で送迎。
育児時間はもうありません。出勤時間が早くなりました。保育園に送り届けて、おまるに座らせて、
わー、もう行かなくちゃー!
と泣きながら先生に抱かれているハカセとバイバイ。職場に向かって猛ダッシュ。
ロッカールームに滑り込み、気持ちを切り替えてお仕事。昼を過ぎるとあっという間に帰る時間が近付きます。
でも時間までに仕事を終わらせることはなかなか難しくて、キリがいいところで帰っていいよと言われても、実際帰れないものでした。
だって途中までになっている日勤のお仕事を、夜勤に引き継ぐのは申し訳ない💦

キリの良いところって一体どこー?

と思いながら、今度は保育園に滑り込む日々でした。この頃は延長保育にはしておらず、基本的な保育時間にお迎えに行っていました。

迎えに行って、帰って、夕飯食べて、お風呂に入って、保育園荷物さばいて、歯磨きして寝かせる。
保育園は布おむつでしたから、布おむつの下洗いもして〜。
20時、夫は帰って来ず。ハカセは寝る時間。
こんな生活でも19時30分にはパジャマでお布団の上でゴロゴロ。20時にはハカセは夢の中。
夫が帰宅する23時には全て終わっていました。
休みの日は離乳食作りや1週間分の作り置きの準備をして時間は過ぎていきます。
私1人で頑張っている感でいっぱい。
そんな生活が続き、ついに

もー!しんどーい!

爆発。

このままでは、
「おはよー、お父さん(という名のおじさん)。いつもトイレにいるねー。じゃあボクはお母さんと保育園に行くから、また明日の朝来てねー。」

なんてそのうちハカセが言い出しかねなくない⁈
父の子の時間はどこに?
先々を考えて、急に不安になる私。
出た!ネガティブ思考。

そんな生活、イヤー💦

ということで、夫婦でタイマン。
失礼!夫婦で話し合い。

まだ若くて、気持ちよくお互いが歩み寄ることはありませんでしたが、妻勝利。
失礼!夫が譲歩してくれました。

ハカセも自転車に慣れてくれて、夫と自転車で登園できるようになりました。
父子で登園する時のドタバタはまた後日書きたいと思います。
夫が保育園の送りをしてくれるよになり、私は朝洗濯物を干して、出勤することができるようになりました。

子どもが2人になってから
ピョン吉が6ヶ月で総合病院Bにパートで勤めました。この頃は過酷な保育情勢で、ピョン吉はハカセと同じ保育園に入れず、車で5分離れた別の保育園に入園となりました。今思い返しても過酷ー💦よくやったなぁと自分でも思います。

まだお座りがやっとのピョン吉でしたから、送迎は車です。朝はピョン吉を先に保育園に連れて行き、それからハカセを登園させていました。迎えは先にハカセ、その後ピョン吉です。そうでないと全てがスムーズにいきませんでした。

心が育ってきているハカセは自分が一番でないと納得しません。先にピョン吉バイバイ。その後なら納得して自分も母さんとバイバイできる。
迎えは先にハカセ。ピョン吉より先に自分のところに来てほしい、子ども心。
わかるけど💦癇癪持ちのハカセを納得させて、日々をスムーズに送ることは本当に大変でした。

ちなみに総合病院Bが街中にあったため車通勤ができず、ハカセの保育園の近くにパーキングを契約し、車をそこに置いて自転車に乗り換え出勤するという、非経済的な通勤方法を選択していました。
私のお給料はほとんど保育園代とパーキング代に変わっていたので、何のために働いているんだろう?とわからなくなってしまうこともしばしば。

ピョン吉が9か月の頃、運良くハカセと同じ保育園に転園することができました。待機児童になるよりは入園できただけ良かったのですが、二重保育園生活はしんどかったです。世の中にはこういうご家庭が他にもたくさんあると思いますが、保育園問題は国をあげて解決に臨んでいただきたいと切望しています。

時が過ぎ、ハカセ3歳、ピョン吉1歳となりました。この頃は私が保育園の送迎を行うことが当たり前のこととなり、夫が保育園送りをすることは滅多にありませんでした。

そうこうするうちに、3人目の姫どんの妊娠がわかったのですが、3人の余裕なのか、油断なのか、私は自転車の前後ろにハカセとピョン吉を乗せ、自転車で出かけることが時々ありました。助産師としては妊婦さん達にやってはいけませんよ、という行動です💦

2人の育児をほぼワンオペで行いながら、23時を過ぎて帰宅する夫を待っている日々。ワンオペでしんどそうな私と女子供しかいない無用心な我が家の状況を心配して、父と母が実家の部屋を空けてくれ、実家と同居することになりました。妊娠16週の頃です。

何が起こったか、もうお分かりですよね。
そうです。引越の片付けに追われていたある晩、子宮の収縮が10分おきに起こり、まるで陣痛。長い夜が明け、やっと朝。職場で診てもらい、子宮頸管長短縮。切迫流産で自宅安静となってしまいました。

その頃の話はこちらをご覧ください。

結局、妊娠18週から入院となってしまい、自宅出産を目指していたため、妊娠37週になってから退院するまで19週間の安静生活となりました。

子どもが3人になってからは、
待機児童、保育園難民になることを避けるために、産後2ヶ月で働き始めることを決めました。その頃の記事はこちらをご覧ください。

結果、3人同時在園が2年間続きました。生後2ヶ月の姫どんがいるので、車で私が送り迎えをしていました。
3人を車に詰め込み、7時20分には家を出ます。7時35分に保育園に着いて、7時50分には保育園を出ます。そして8時20分、職場に滑り込む、という生活でした。
ハカセが卒園。ピョン吉が卒園と、1人ずつ送迎時の子どもが減り、姫どんだけの送迎になった時には送迎を夫がする日もありましたが、基本的には私が行っていました。

最初はなんで自分だけがしないといけないのー?と思っていた送迎ですが、今思えば、送り迎えの時間は忙しい生活の中で、唯一ゆっくりと子ども達と話せる良い時間でした。朝はどよーんとして、行きたくなーいなんて言ってる子もいましまが、3人を乗せて帰る車中では、あんなことしたよ、こんなことしたよ、と誰からお話しするか大騒ぎになる程。
今では過ぎ去った良き時間を思い出しては、かわいかったなぁーと、二重に至福の時間を過ごしています。

長くなりました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今日もいい日になりますように。

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