長男誕生。助産師だって出産は取り乱す①
長男の「ハカセ」(もちろんニックネーム^_^)が生まれたのは2006年の暮れだった。私がいきみまくって産んだせいか、生まれたてのハカセはまるで負けボクサーのような様相だった。写真を見返すたびに申し訳なくなる。
そう、私は助産師なのに、いきみや呼吸法が上手にできなくて、定期的に襲ってくる陣痛が怖くて仕方なかった。やっと1つ陣痛をやり過ごしたら、またすぐ次がやってくる。
「ぐあー、、また次が来たー」
「怖い、怖い、怖い」
「痛い、痛い、痛い」
「ムリムリムリムリー」
私の心は恐怖で縮こまっていた。助産師の友人3人が仕事終わりに駆けつけてくれて、家族に混じって腰をさすってくれた。それがなんと気持ちいいのか。彼女達が腰をさすってくれて呼吸法を一緒にやってくれると陣痛の波をサーフィンのようになんとか乗り越えられた。プロが3人がかりで腰をさすってくれるという贅沢を味わい、助産師の凄さ、ありがたさを身をもって知った。
彼女達のケアを受けながら、誓った。育休明けで仕事に復帰したら、これまでよりも産婦さんに寄り添える助産師に、私はなる!
18年たった今でもあの時の想いは忘れていない。日々、産婦さんに向き合って実践している。
立ち会い出産も面会も許されなかったコロナ禍の出産では、多くの女性がたった一人で出産に臨んだはずだ。彼女達はどんなに心細かっただろう。彼女達に私は心から敬意を表したい。あなた達はすごい、と心から思う。私なら間違いなく心が折れている💦
さて、話を戻す。私は初産にしては進行が速く、7時間かからずに出産した。朝8時30分に破水して入院、16時頃から陣痛が来た。陣痛が始まった、と思ったらいきなり4分おきの強い陣痛。それまで傍に付いてくれていた母や姉が、主婦の最も多忙な時間となり一旦帰宅。まさかの父と、2人きりになった。腰をさすってあげようという発想もない父。沈黙の2人の時間。夕飯が運ばれてきたがもちろん私は食べられるはずもない。父が海苔の佃煮の袋を開けてご飯の上にブリブリとかけた。「ほら、食べんさい」と私の目の前に差し出す。
いやちょっと待て、食べられんよ。さっきからずっと陣痛が4分おきじゃし。陣痛のたびに体をよじらせて、うーーーっと苦悶。短いインターバルもぐったりしとるじゃろ。米粒の咀嚼とか嚥下とか、マジで今は無理よ、とイラっとする。
ギリギリ理性を働かせられた娘(私)は、とりあえず心の声はしまっておいて、今は食べられんけぇ父さんが食べて、と答える。
陣痛はどんどん痛くなる。助産師さんが内診しに来た。内診所見変わらず。
えー、うそでしょ、なんでー⁇こんなに痛いのに⁇愕然とする私。私、産めるの⁇
パニックと絶望と私の夕飯をむしゃむしゃ食べている父と。ハカセが生まれる4時間前、重い空気が漂うLDR※であった。
※陣痛、分娩、産後の回復まで過ごせる部屋のこと。Labor(陣痛)、Delivery(分娩)、Recovery(回復)の頭文字をとってLDRと呼ぶ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?