ぶきっちょ助産師、はじめての母乳育児
こんにちは、助産師のぶきっちょです。今日は私の母乳育児スタート時期について書いてみます。長文ですので、先に謝っておきます。すみません。
なんでも自然が良いに違いないと思っていた私は、迷わず母乳育児で育てていくことを選択しました。普段からお母さん達に母乳育児の利点をお伝えしていましたし、特に母乳の量は、
泣いたらおっぱい、泣いたらおっぱい
と、吸わしているうちに増えていくんですよ、と話しており、吸えば吸っただけ増えると信じていました。
妊娠中から乳頭乳輪マッサージは念入りに👍
初乳は出産の前から搾ればじわじわポトリと出ておりました。準備はオッケー。
「いよいよ自分がその生活を体験するんだ。楽しみだなぁ。」
と、その後1日20回の授乳生活でへとへとになることも知らず、憧れの生活が近付いてきたことに私はしみじみと感動し、能天気に浮かれていました。
新生児初期(生まれて1週間くらい)の1回哺乳量(ml)は、
出生後日数✖️10ml
が目安とされることが多いと思います。よく飲む子はそれにプラス10mlします。これは哺乳回数を1日に6〜8回とした場合の量です。
そう考えると、私の母乳分泌量はこの量を満たすほど多くはありませんでした。しかし、出産した産院が母子同室制を取っていたので、生まれた時から私は長男の「ハカセ」とずーっと一緒だったのです。前述の、「泣いたらおっぱい、泣いたらおっぱい」をハカセが生まれた直後からひたすらやっていました。ミルクは飲んでいません。
すると、どうやらそれで退院までにハカセの体重が増加に転じたらしく、問題なく退院することができたのです。
自分がお母さん達に言っていた通り、母乳の量は飲ませたら飲ませただけ増えてくる、と実体験から確証を得たのです。人間て哺乳類なんだなぁと改めて思った出来事でした。
ところで、ここで質問です。
あなたは産院を退院する時、2、3時間おきに授乳しましょうと言われませんでしたか?
授乳間隔の目安として、少なくとも私はそのようにお母さん方に話してきました。
しかし、
蓋を開けてみると、自分の育児はそれとは全くかけ離れた40分授乳だったのです。どういう意味かというと、20分かけて母乳を飲ませても20分寝たらまた赤ちゃんが起きる、という生活だったということです。もちろん、毎回40分なわけではなく、1日のうち何回かは1時間以上寝てくれる時もありました。しかし概ね40分程度の間隔で授乳をしていました。
母乳はミルクに比べてカロリーが低く、消化が良くて腹持ちが良くありません。ですから、ミルクよりも授乳間隔が短くなり授乳回数も多くなる、ということはわかってはいました。
いやしかし、待て待て、それを加味しても💦
え⁈ちょっと回数多くない⁈
え⁈なんで⁈また泣くん⁈
ショートスリーパー過ぎんか⁈
それでも当時の私はひたすらハカセに合わせて授乳しておりました。乳房の緊満が強く、乳頭乳輪をほぐすのに痛みもあるし時間もかかりました。
まぁでも、誰に迷惑をかけていることでもない。時間の制限があるわけでもない。産休育休中で、のんびり生活をさせてもらっている期間です。わが子が欲しがるならあげたらいっか、と子どもに合わせてみることにしました。
母からは、
「あなた一日中おっぱいしよるね。見るたびに授乳しよる。寝とん?」
と驚かれました。
はたまた、
「母乳が出よらんのんじゃない?私も出んかったけぇ、あなたも出んのんじゃないかね」
とも言われました。
ハカセは日に日に丸々としていき、母乳が足りていないとは思えませんでした。実際1ヶ月健診では体重はよく増えており、問題ありませんでした。
この40分授乳は生後2ヶ月まで続き、ようやく授乳が2時間おきになったのは3ヶ月目に入ったところでした。
「ハカセちゃんがよく寝るようになってきたし、あなたちょっと気分転換に買い物でも行っておいでよ。」
と、母に言われ、いそいそ着替え、久しぶりにメイクをして、1人宛もなく家を出ました。その解放感は、映画「ショーシャンクの空に」の主人公アンディのようだったと回想します。
そんなに大変だったんなら、人に預けて寝ればよかったんじゃないの?
と思われるかもしれませんね。それがそうもいかず、産院から退院した私と入れ違いに、祖父が入院してしまい、母はじめ家族の手はそちらに取られてしまいました。みんな私のことを気にしてくれていましたし、時々誰かは来てくれたけど、みんな働いているし、サポートは十分ではありませんでした。まだ悪露が出る身体で生まれて間もないハカセを連れて近所のスーパーに自分で買い出しに行った日もありました。
大好きな祖父はそのまま18日後に亡くなりました。亡くなる前、祖父は私のところに会いに来てくれました。ふとした温かい雰囲気、視線を感じて、じいちゃんだと思いました。じいちゃん、逝くの?と悲しくなりました。それはまた別の機会に書こうと思います。
その後、
ハカセは私の仕事復帰に合わせて10ヶ月から保育園に通い始め、日中、哺乳瓶で搾乳やミルクを飲むようになりました。完全母乳で育てていたので、入園からの哺乳瓶拒否は1週間続き、その間、保育士の先生方はスプーンやコップありとあらゆることを試してくれました。やがてこれを吸わないと生きていけないことがわかったハカセは哺乳瓶をしぶしぶ受け入れていきました。保育園に入る時のために哺乳瓶が使えた方が良い、と最初から混合育児を目指す方もいますが、心配しなくても大丈夫。子どもは成長していくものです。
保育園以外の時間は母乳を飲んでおり、結局一歳までおっぱい生活は続きました。
ここまでの長文を読んでいただき、ありがとうございました。助産師であるが故に、母乳で育ててみたいという気持ちが強く、やってみると1日20回授乳になっていた私の話でした。
どう思いましたか?そんなに苦労するならミルクでいいやー、と思いましたか?
でも、こんな生活をした割に、私の満足度は高いんです。やり切った感があるせいでしょうか。憧れていた生活を体現できたからでしょうか。
子どもの栄養を母乳だけでまかなえた経験は、母親としての大きな自信になりました。あの頃の私とハカセの密着度はとても強くて、ハカセがかわいくてかわいくて、仕方なかったです。どこに行くのも一緒でした。母乳だったから楽だった、という場面もたくさんありました。
これは私の母乳育児の話。
あなたにはあなたの母乳育児のやり方があります。あなたに合った方法を見つけてくださいね。
誰かに何かを言われて困ったり、傷付いたりする話ではないのです。母子が100組いれば、100通りの母乳ストーリーがあるのです。
乳頭への刺激が減れば母乳の量は減っていきます。2ヶ月かけて母乳量は増えていきますので、最初の分泌量が少なくても大丈夫。効果的な乳頭刺激を1日8回続けていれば量は増えていき、最終的には1回で200mlほど出るようになっていきますよ。
母乳育児について、聞きたいことがあれば、私の知っている範囲で良ければ記事にしますのでご質問ください。
では、お付き合いありがとうございました。長文、失礼いたしました。
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