第十一話 明治の熱血漢、仙石貢

 明治期に、日本の鉄道技術は長足の大進歩を遂げた。明治のはじめに欧米先進国にざっと五〇年遅れてスタートを切り、ほぼ五〇年かけて、ようやくなんとか追いつく。この欧米鉄道関係者を驚嘆させた大進撃は、もちろん数多くの技術者たちの努力によって支えられている。
 島安次郎はその代表的存在といっていい。
 島安次郎は、車両技術に精通し、しかも再三にわたる海外視察によって欧米の鉄道先進国事情にも通じていた。技術と世界を知る島安次郎にとって、広軌改築こそ鉄道と国力の発展に資することは明々白々だったのである。

 この車両の神様は、ほとんど絶望的な気分で、軌間論争を眺めていた。島には、技術論を忘れた無用の空騒ぎにしか思えない。党利党略が技術論を食いものにしている。そもそも広軌改築など政争の具になるような大問題ではないのである。やろうと思えばごくごく簡単なことなのだ。
 大正三年、島安次郎は、『軌間の変更』というパンフレットを発表している。このパンフレットの中で島は、きわめて現実的かつ安価な広軌改築案を提出している。

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