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第二十六話 種田・十河時代の閉幕と太田圓三の自死
大正十五年の一月二十六日、事件が、起こる。
そして、「種田・十河時代」は、突如、閉幕する。
十河信二が経理局長として官鉄に呼び戻されてから、一年と七か月。
孫文の死からまだ一年も経たない頃のことである。
一月二十七日付けの東京朝日新聞朝刊は、こう伝えている。
「鉄道経理局長十河氏収容さる 今暁市ヶ谷刑務所へ
前任復興局経理部長時代に 例の疑獄に連座か」
この日は国会開期中だったので、十河信二は帝国議会政府委員室から東京地裁検事局に召喚されてしまった。
さらに二十八日朝刊では、一面、四面、五面のいずれもトップで続報を伝えている。見出しタイトルは次の通り。
「十河局長の収容に大面食いの臨時閣議 政府対策に奔走」
「十河局長邸を始め家宅捜索六ケ所 十河氏の罪は重い」
「十河氏の検挙収容は金の行方取調べから 稲葉と結ばれた因縁」
まさか。
まさか、あの男が収賄を……?
十河信二を知る人は、みな一様に驚いた。政府委員室に居合わせた東京日々新聞記者の青木槐三は、十河経理局長の着ている擦り切れたモーニングを見て「無罪を直観した」と、のちに回想している。
捜査のために留守宅に踏み込んだ係官は、十河家の質素な生活ぶりに、拍子抜けした。銀行通帳はたった一冊だけで、しかも子供の名義。微々たる預金残高で、妻キクに抗議されて、押収を控えている。
しかし、検事局は、容赦しない。
担当は、〝鬼〟と恐れられていた石郷岡検事。
石郷岡検事は、十河信二の交友関係について執拗に問い詰める。親戚、政財界、同窓生、鉄道省、一般社会人などの分野別に詳しく問いただした後で、このように断じた。
「およそ友人というものは、利益をもって結ばれるものである。いま聞いただけでも君が管轄している鉄道省の機械や物資の取引先で、友人のいないところは、ない。相互に利益をもって結ばれていることに疑いの余地はない」
十河信二は、わなわなと震える。この男にとって、「友」は人生最大の価値、すなわち宝である。
「暴言なり! 検事の発言、正気の沙汰とは思えない! 友人とは神仏から恵まれるもので、断じて利害で結ばれるものではない。もはや検事の一言一句さえ信じられぬ!」
「何を言うか! 神聖なる法の場に、神や仏を持ち込むな」
「……あなたとは、住む世界が違うようだ。もはや問答無用というほかない。勝手に処断するがよかろう」
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