ある日突然もう一人の妻が現れたら・・・(11)
泣き疲れて気づいたら目を瞑っていた。
朝が来るのが怖かった。
あの人たちには早く出て行ってもらわないと。
夫は寝室に戻ってきていた。
眠れそうにないから、トイレに行くことにした。
廊下へのドアを開ける。
玄関には自分のものではない女性用の靴と、男の子のスニーカーが置いてあった。
トイレでまたしても考える。
あの女はそもそも何者なのか、どういう経緯で夫と出会ったのだろうか。
知りたくもないが、次から次へと頭をよぎる。
私の何がいけなかったのか。
夫は一体なにを考えているのだろうか。
「トントン」とドアがノックされた。
まさかと思い無言でいると、「すみません、トイレを貸してください。」と
男の子の声がした。
子どもならしょうがないと思い、トイレを出た。
「ありがとうございます。」と男の子はお辞儀をした。
私は無言で部屋に戻ろうとした。
そのとき、背後から「すみません。」と声がした。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。佐伯エミリと申します。
この度はこのような形で突然お邪魔することになってしまいすみません。」
それは謝罪の定型文のようだった。
謝るなら『あなたの夫を奪ってすみません』『家庭を壊して申し訳ありません』とまずは言うべきだろう。
私は女の顔を見ることもなく、「娘が起きる前に、荷物をまとめてすぐに出て行ってください。」とだけ言った。
そのまま歩いて部屋に戻ろうとすると、
「私たちには帰る家がありません。無礼なのは重々承知ですが、ここに居させてください。このとおり、お願いします。」と女は言った。
そこで、「ガチャ」っとトイレのドアが開いた。
男の子が私の顔を見て「すみません。」と言った。
私は振り返ることなく、無言で部屋に戻った。
不倫相手の事情なんか知ったことではない。
意地でも追い出してやる。
不倫するなら、いっそのこと、私と娘を捨てて出て行ってくれればよかったのに。
部屋に戻ると娘が起きていた。
「ママ、だいじょうぶ?」
「ごめんね、すこし具合が悪かったんだ。」
「あのひとたちは、だれなの?まいごになっちゃったのかな。」
「知らない人だよ、もうお家に帰るって。」
「そうなんだ。」
起きる時間まで1時間ほどあったので、娘をまた寝かせた。
娘が寝たのを確認すると、夫に話しかけた。
「本当は起きてるんでしょ?」
夫はゆっくりとこっちを向いた。
「エミが起きる前に、今すぐ追い出して。」
「それは、無理なんだ。」
「なんで無理なのよ。」そう言うと、夫は立ち上がった。
「部屋の外で話そう。」
確かに、娘に聞かれてはまずい。
「彼女には身寄りがないんだ。両親も亡くなっているし、兄弟もいない。
アパートも追い出されて住むところがないから、連れてきたんだ。」
「そんなの知ったことじゃないよ。祖父母とか他にも親戚いるでしょ。」
「祖父母は施設に入っているし、親戚は疎遠で本当に頼れる人がいないんだ。」
「あんた、自分が騙されてるってわからないの?そんな都合のいい話なんてないでしょ。カモにされてんだよ。」
「彼女のことを知りもしないで、よくそんなこと言えるな。」
「ええ、知らないわよ。赤の他人なんだから。」
「パパ、ママ〜。ケンカしてるの?」と娘がドアを開けて尋ねた。
娘にケンカしているところを見聞きさせたくなかった。
それだけは絶対に避けたかったことなのに。
「ごめんな、ちょっと話してただけなんだけど、声がつい大きくなって。
起こして悪かったね。」と夫が娘に謝った。
「うん、いいよ。」と娘が言った。
私は夫に「保育園に行ってる間にどうにかして。」と釘を刺した。
早めにご飯を食べ身支度を整え、今日は早めに登園することにした。
「今日はちょっとお散歩してから、行こうか。」
「やったー!」と娘が言った。
もう早くこの家から立ち去りたかった。
「パパ、いってきまーす!」と娘は笑顔で夫に手を振る。
「行ってらっしゃーい。また後でな!」
私は夫を見ることもなく、家をあとにした。
自分の顔をちゃんと鏡で見てこなったが、大丈夫だろうか。
マンションのフロントドアにふと映った自分の顔は、疲れ果てていた。
また泣きたくなってきた。