見出し画像

22.3.14 泥縄も見守る【770日目/1000日】

ここのところ過去の自分に共感してばかりだ。

今年の春は二男が就職で家を出ていく。娘の時は卒論やワークショップのあれこれで引っ越しまで本当に忙しそうだったけれど、二男の方は車の免許取得のタイムリミットが迫っているという究極の泥縄状態だ。彼はずっとこんなふうに先の見通しが甘くお尻に火がつかない、いやいや、とっくに火がついているのに見ないふりをしていてボヤ程度になることの連続だ(現在進行形)。この「ボヤ」も本人ではなく家族(主に心配性な母親:私)が「火の近くにモノを置いたら危ないよ」「火加減大丈夫?」そして「なんか焦げ臭くない?」と言い始めても本人は「気のせいでしょ」という反応の繰り返しだった。今回もまさにこの流れでの泥縄状態でさすがに本人も焦っている(と思いたい)。
何事もギリギリになることが怖い私は彼のこの「ギリギリでも何とかなったら結果オーライ」の気性が理解できないし、側から見ていて危なっかしくて仕方がない。

この感覚、何かに似ている。

そうだ、歩きはじめの子供のそばでハラハラしているあの感覚。本人は補助されることを拒むけれどその歩みは危なっかしくて、実際に何度も転んで泣いたり怪我もしたりする。その度に寄って行っては手を取ったり諭したりする。そんなことを繰り返して子供はしっかり自分の足で歩き始めるあの時期のあの感覚だ。あの時に親が心得ていなきゃいけないことは
「手を貸しすぎないこと・見守ること」
だ。手を貸しすぎると子供の歩きは遅くなるし、本人の自発心も削がれてしまう。私はそんなふうに心得ていた。

春から新しいことを始める二男は歩き始めたあの時期と同じ状況なのかもしれない。私はそれが危なっかしくてつい手を出したくなる。年齢もあってか見守る事、何かをぐっと我慢するという事に以前よりも難しさを感じるけれどそれでも見守ることを心がけなくちゃいけないのだろう。

とにかくも。この泥縄がはやく解けて無事出発できるように今は私のできることを粛々とこなしますかね。
がんばれ、息子よ!

2021→2022→2023年の自分へ

2022年の自分へ
春がやってきていますが、今日はちょっと寒いです。朝から買い物がてら歩いて来ましたが、以前と同じ時間に歩いていても同じように歩く人や犬を散歩させている人も多くなりました。朝散歩は日差しの強さも変わってくる事ですしもう少し早い時間にしないといけないかもしれませんね。ちなみに今は6:30近辺にしてるけどこれでももう遅いかも。さて、2022年の私もまだちゃんと歩いていますか。

2021年に返信と2023年の自分へ
去年は朝散歩をしていたのですね。今年は空が黄色く見えるほどの花粉とご近所には極力会わないキャンペーン@自分が相変わらず続いている(笑)ので朝散歩は仕事に行く日に職場へ少し早く着くように家を出て、職場近辺を歩くぐらいです。ご近所にいつ会うかとかを気にせず歩けるのは本当に気持ちがラクで、この仕事に巡り会えて良かったと本筋ではないところで感謝しきりです。2023年の散歩事情はどうですか。やっぱりご近所歩きはしてないんでしょうか。