21.11.6 秋の桜と書いて【641日目/1000日】
朝散歩で
週明けは雨が降るのだと天気予報で知った。秋の空は(私の気力同様)変わりやすいようなので青空を満喫するために朝に近所を散歩してみる。
河川敷沿いの木は葉を黄色く染めていた。これから緑部分がどんどん減っていく。
垣根の金木犀は花が日に日に増える。朝日の光と花の色が一緒になるとぼんやりした気持ちが目覚める感覚。自然の力は偉大。
河川敷では桜が咲いていた。「十月桜」という名札が木にかかっていた。「秋桜」と書いて「コスモス」と読むけれども、本当にこの季節に桜の花を咲かす種類があるのだということを知る。世の中知らないことばかり。春の桜は花の後に葉が茂るけれどこの十月桜はどうなんだろう。あとで調べてみようっと。
日の傾き(角度)が変わってきたので朝や夕方の自分の影はどんどん長くなる。影のこの長さが人をノスタルジックにさせるんだろうかな。これぐらい背が高くてスラッとした体型になれたなぁ(とずっと思い続けている)。
2020→2021→2022年の自分へ
2021年の自分へ
去年も今年の私も今日は仕事休み日。休日にnoteを書く時間を一日のいつにするかでまだフワフワしています。2021年はしっかり軸が出来ているのでしょうか。2020年の今日はアメリカ大統領選の報道が、国会 の喋れば喋るほど支離滅裂になる内閣よりも大きく報道されています。来年の今頃は「正気」に戻っているのでしょうか。このまま沈んでいく泥舟でないことを祈るばかりです。
2020年に返信
去年の今頃もnoteを書く時間に迷っていたのだとnoteを読んで自分のことなのに笑ってしまいました。仕事の有無に関わらず夜回しにすると何だか落ち着かないーネタがない日は焦ってしまってかえってしんどくなるーので朝に戻しました。少し寝坊するとそれもなかなか厳しいですが今日に遅刻する!と夜に焦るよりは精神衛生上は良いようです、今のところ。去年心配していた社会が「正気」に戻っているか問題はまだ続行中、というか、何だか変な流れが起きているのではないかと絶望に似た気持ちになっています。いつか来た愚かしい道を歩まないことを祈るばかりです。
2022年の自分へ
利他であることは利己と地続きで、それもいつ誰にその「利」は届くかわからない(教育などは年月が経ってからやっと辿り着くこともある)こと、そして余白があることが豊かであるという話をラジオで聴きました。合理化や効率化を極めることを求める社会って貧しいんでしょうね。今の私は社会には諦念しかありません。2022年にはそんな気持ちが変わるような世界になっているんでしょうか。