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22.3.7 ぐるぐる縛る【763日目/1000日】

始めた当初は毎日しっかり振り返ろうと思っていたし、1年前の私は今年の私のために毎日ちゃんと伝言してくれている。毎日となると結構きつい。そもそもこのnoteだって自分用の備忘録でしかないのに、自分で自分を縛るくくりを勝手に作って苦しくなっている。私は何かを始める時にこんな風に自分をくくる縛りを必ず作ってしまう癖があるらしい。最初はそのくくりをこなせる自分は「偉い」ぞと自画自賛できるのだけど、そのうちその縛りがどんどん自分のココロにめり込んでくる。呼吸も浅くなる感覚がするのだ。何か始めても続けられないのはこの苦しさに耐えられなくなるからだけど、「継続することこそ正義」と小さい頃から刷り込まれてきた私には途中で手放すことに罪悪感というか自分への絶望感しか持てない。

じゃあ継続していたらそれで自分を褒めてあげられるかというとそれもちょっと違う。

継続するのは自分の中のルーティンにしてしまえば大したことはない。何を、どう続けるかで結果の方向のベクトルは変わってくるはずで、漫然と続けることにきっと意味はない。

ってことを考えていたら、こうやってnoteを書くことも新しく何かを始めようとすることも、でもそれもあっという間に手放してしまうことも、自分のすることに何ひとつ意味がないような気がしてくる。でも多分きっと意味なんてない。

あ、ほら。

今度はこうやって自分のする事に○×という括りをつけて自分の行動を「今」の自分で判断している。これが苦しいのだとボヤきながら自分をぐるぐる巻きにするんだから本当に根っからの...(以下略)。

さて、今朝は自分へのダメ出しも言い訳、つまり「2021→2022→2023年の自分へ」という自分の振り返りと申し送りは気が向いた時にするよ宣言も自分のためにしたことだし、今週も切り替えて行きましょうかね。今週も忙しくなりそう。

2021→2022→2023年の自分へ

2022年の自分へ
植物のように生きるのが生き物として正解なのかなと桜を見ながら考えていました。今日はここのところの常になっている腰痛が辛いです。加齢なのか持病なのか微妙(韻を踏んでてちょっと気に入ってる)。今日見た桜を2022年も見ましたか。是非見て植物の強さについて考えてみてください。
2021年に返信と2023年の自分へ
今年の桜の状態は散歩の頻度が減ったのでよく分かりません。でも今週は暖かくなる(20度近くに達する日もあるという予報です)ようなので蕾も膨らんでくるかもしれません。時間があれば見に行ってこようかな。2023年の植物はどんな様子ですか。