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夜雨にハイボール

 数日前買い物に行った時のこと、それはもう、然もありなんといった調子で、流れる手つきでウィスキーを買い物カゴに入れていた。
理由は至極普通で自宅のストックが切れてしまったからだ。

 そもそも元からあったウィスキーは、恋人が以前家に来た時の夜に2人でご飯と一緒に飲むために買ったものだった。確か半分くらいは残った状態で彼は帰っていったはずだ。それ以来、1人でちびちびと飲んでいたらとうとう先日空になってしまった。

 彼は今大阪にいる。詰まるところ遠距離恋愛、というものである。つい半年ほど前まで同じ場所に帰って毎日見ていたその顔はかれこれ2ヶ月ほど見ていない。彼はほとんど毎日晩酌する人だった。「一日の終わりにお酒を飲むことが自分をその日の疲れやしがらみから解放してくれるんだ」と言っていた。アルコールはあくまでコミュニケーションツールであって外では飲むが家では全く飲む習慣がなかった当時の私には豪も理解できなかった。
 そんな私が、今、再び一人暮らしをするようになってからウィスキーを片手に夜を過ごしている。いつのまにか炭酸水を常備するようになっていた。彼は反対にあまり家では飲まないようになったらしい。

誰かを思って泣く孤独はいいものだ。それがいかに辛かろうといいものだ。孤独には二種類あって、誰かを思う孤独と、まるでそこになにもない無のような孤独があり、誰かを思う孤独は思う人の心の中に誰かが存在する分、厳密には孤独ではないとも言える。

中島京子『樽とタタン』新潮社、2018年

 微量のアルコールは知識を茫洋とさせ、なるほど確かに1日の締めくくりには丁度いい。「おかえり」の声が返ってこない部屋、1人では広すぎるベッド、服はあるけど本人は居ない。寂しくないと言えば嘘になる。だがそれで泣きじゃくったり、駄々をこねたりするような歳でもない。分別のつく大人なのだ。

 私は自分を晴れ女だと主張する。彼は自分を雨男だと言う。2人で出かけた日の天気が快晴だったり雨だったりするとそれぞれ自分の影響だと言い始めるが、もう何回も同じく時を過ごしてるのだから晴れも曇りも雨もあって当然だ。
 私は自分のことを運が良いと思っている。彼は自分のことを運が悪いと常々言う。確かに頻繁に怪我したり体調不良に陥るのは運が悪いというか、なんというか。とにかく心配の種だ。でもそれ以外で貴方はとても愛され、恵まれていると思う。少なくとも私は、運が良いから貴方に逢えたと思ってる。

誰にも思われず、誰にも知られず、誰にも理解されないばやい、人は自分の存在すら疑うほどの孤独に直面する。そんなときに人を救うのは誰かを思う孤独である。

中島京子『樽とタタン』新潮社、2018年

 窓の外では雨が降っている。雨予報とも知らずに傘を持たぬまま出掛けてしまったので雨に濡れて帰路についた。家に着き、そのままグラスにウィスキーと炭酸水を注いだ。
冷えた身体が暖まっていくのはアルコールのせいか、それとも

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