人は孤独によって病む ―嫉妬の話
前々から頭では理解していたけど、いま確信した。人は孤独によって病む。たとえば、人は単なる絶望のせいで病むのではない。「絶望をたったひとりで抱える」ことで病むのだ。
日常生活上のもろもろの悩みがたまって「人生もう嫌だ」「世の中なんてラララ」みたいな気分になり、ひさびさにカウンセリングを受けた。思う存分愚痴をぶちまけ、「こうこうこういうわけでどうにもしようがないんですよ」「うーん、確かにそれはなかなか難しいですよねー」みたいにやりとりをする。「ああ、あれもこれもこっちも確かに先生もどうしようもないなと思う難しい問題なのだな」と腑に落ちていくうちに、なぜか厭世的な気分が吹き飛んでしまった。自然とすぐに未来の話、「じゃあ次にどうするか」になった。
現金に元気になり、小さな頃の光景を思い返しては悲しくてポロポロ涙をこぼしていたメランコリックな気持ちもどこかへいってしまった。これはなんなのだろうと驚いて、先生に「いま何が起きたんですか、先生は私にいま何をしてくれたんですか、私はどういうしくみで元気になったんですか」と聞いてみた。
すると先生は、「同じ絶望するでも、ひとりじゃない、つながってる人がいる、同じ絶望を共有してくれる人がいる、っていう感覚が持てたからじゃないですかね」と言う。
なるほど。トラウマ性疾患者の症状を形成する核となる3つの感覚として、以前先生は確か、「無力感」「孤立感」「恥の感覚」を挙げてくれた。このうちのひとつである孤立感がブワッと解消されたから、私は元気になったのだ。
なるほどなるほどと思いながら半日経って夜になったころ、ストンと降りてきたキーワードがあった。
私は、「現在恵まれた環境にあるトラウマサバイバーとしての孤独」に苦しんでいたのだ。
それにしてもこの芯から癒された感じはなんだろう、とさらに自分の胸の中を掘っていて、思い当たった。このところ私が覚えていた孤独感は、私が物心ついたときから抱えている深い孤独感と通底していた…… だから現在の孤独感が癒やされたことで、もっと深いところから癒やされたように感じたのだ。
以下、その私の奥底にある孤独感について書くが、人によっては要らぬ不快感を与えてしまうだろうし、自分としてもあまり際限なしに広まってしまうのは不本意なので、有料にして公開範囲を限ろうと思う。気になる人だけ購入して読んでほしい。
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